図書館の一角にリノアはいた。

 本棚に並ぶ本の背表紙に書いてあるタイトルを目で追っては次の本へと、視線を変えて行く。

 魔女アルティミシアとの戦いのあと、いろいろあった。

 自分の力の事、サイファーの処遇、イデアの今後。

 全てがすんなりと行くはずも無くゴタゴタした事もあったが、なんとか各々が納得いくだろう結論を出し、今は平穏な日々を送っていた。

 リノアはガーデン生ではないが、魔女の力を継承した故その力の使い方を再勉強しているところだ。

 擬似とは言え魔法の使い方を熟知しているガーデンでの勉強は、魔女であるリノアにも大いに役立っている。

 幸い、バラムガーデンには魔女であったイデアもいるため、いろいろ話を聞いたりもしていた。

 そして何より。

 リノアの騎士がここにいる以上、リノアはなるだけ彼に傍にいたいと思うのだ。

 ふと、リノアは足を止めた。

 読みたかった本のタイトルが目に飛び込んできたからである。

「やっと見つけた…!」

 図書委員に怒られない程度の声を嬉しそうに上げて、リノアは本へと手を伸ばす。

 本の角に指を掛けるか掛けないところまで伸ばした瞬間。

 誰かが同じ本へと指を伸ばしてた。

「え?」

 リノアと指の主は同時に声を上げて、驚いて指を止めた。

 声の感じからして女子だとリノアは悟り、隣にいるだろう指の持ち主へと顔を向けた。

 驚いた顔をしている女性と黒い色をした服がリノアに視界に入る。

 黒い服がふわりと、リノアの視界の端で揺れていた。

 夜の色みたいだなぁと、リノアが思っていると、スッと影が動いた。

「どうぞ?」

 女性の指が遠のいていく。

「え? あ? …………いいんですか?」

 夜の色に気を取られていたリノアは女性が本を譲ってくれた事に気付くのが遅れて、思わず戸惑ってしまった。

 動揺したリノアがおかしかったのか、女性はくすくすと笑って頷く。

「貴女の方が先だったみたいだしね」

 女性の言葉に小さく首を傾け、リノアは自分の指を見る。

 たしかに、本の角に自分の指が掛かっている。

「――――ありがとう…ございマス」

 リノアは指を本に掛けたまま軽く頭を下げると、本を取り出した。

 やっと読める。そっと本を胸に抱き締めると、リノアは改めて目の前にいる女性を見た。

 年の頃はリノアと同じか少し上に見える。ガーデンの生徒だろうか?

(…それにしては何か、不思議な感じがする)

 魔女の勘か、リノアは女性に対して違和感を感じてならなかった。

(なんっていうのかな? …ここにはいちゃいけない人? ってそれじゃあ、死んだ人みたいじゃない!)

 リノアは自分の考えに心の中で頭を振った。

(死んでる人の感じじゃない…でも、不思議な人)

「どうしたの?」

「へ?」

 つらつらと考えていたリノアへと女性が声を掛ければ、女性を凝視したまま思考の世界に落ちていたリノアは気の抜けた返事を返してしまった。

 一瞬の間が置かれたあと、リノアは自分の状況を思い出して慌てて頭を下げる。

「うわ、ごめんなさい! ジッと見たりして失礼でした!」

 見も知らぬ人にジッと見つめられるなど、気分が良いものではない。

 リノアの騎士だったならば、キツイ一言をかまして去っていくだろう。

 どうしようかとリノアが考えていると、

「大丈夫、気にしないで」

 女性の朗らかな声が聞こえてきた。

 恐る恐る、顔を上げれば女性は一切の怒気を感じさせない笑顔でリノアを見つめていた。

「本当にごめんなさい!」

 しかし、失礼をしたのは確かなので、リノアはもう一度謝ってから顔を上げる。

 女性はにこりと笑みをたたえたままでリノアを見ていた。

「あの…」

「うん?」

 人好きのする笑顔を浮かべる女性を見てリノアは口を開いていた。

「ガーデンの方ですか?」

 小首を傾げてリノアが問いかければ、女性は首を横に振った。

「違うわ。……そうねぇ、強いて言うならお礼をしに来たってところかしら?」

 ウインクをしながら答える女性を目にして、

「クライアントだったんですか?」

 お礼をしに来たと言う事はかつてガーデンに何かを以来しに来たと言うことだ。

 昔の自分を思い出しながらリノアが聞くと、女性は軽く指に顎を乗せて少し遠くを見つめた。

「うーん。クライアントと言うか……まあ、そんな感じかな?」

 曖昧な表現が気に掛かるが、リノアはそれを受け流した。

 初めて感じが違和感よりもそれは気に掛ける事ではないと感じたからだ。

「ここのガーデン、本当に素敵なところよね」

 リノアから視線を話していた女性はくるりと図書館を一瞥したあとでリノアを見た。

 楽しげに目を輝かせる彼女を見て、リノアも笑って頷いていた。

「ですよね!」

 これがきっかけとなったのか、二人の話はだんだんと弾んでいく。

 場所が場所なので小さく小声でだが。

 しばらく話しこんでいると、ふと女性が言葉を止めた。

「どうしたの?」

 話しているうちにいつもの砕けた口調に戻っていたリノアは言葉を止めた女性に首を傾げた。

 女性はしばらく沈黙を守ったあと、小さく笑った。

「私、そろそろ行かなくちゃ」

 残念そうに笑う女性に、リノアも似たような表情を浮かべた。

「そっか…」

「ありがとう、色々話せて楽しかったわ」

「私の方こそ、凄く楽しかったよ!」

 ありがとう、と。もの悲しそうな笑みから満面の笑みを浮かべなおしたリノアを見て、女性は手を差し出してきた。

「これは?」

 リノアは女性へ視線を向けると、女性は苦笑いを浮かべて答えてくれた。

「お礼をしに行ったときに渡すのを忘れちゃったのよ。私の変わりに渡しておいてくれないかな?」

 お願い! と握られていない手の指をぴんと伸ばしまるで拝むように頼まれてしまい、リノアは一瞬目を丸めたが。

 すぐに目を細めて頷いた。

「おっけー!」

「ありがとう! 助かるわ!」

 リノアの返事に女性は嬉しそうに笑い、手の中にある物をリノアに渡してきた。

 ゆっくりと丁寧な手つきで渡されたそれを、リノアは受け取った。

 女性の掌から降りてきた物を見て、リノアは小さく息を吐くしかできなくなった。

「綺麗…」

 女性の手からリノアへと渡ったそれは、銀に光る水晶だった。

 小さく鋭利なフォルムだがその輝きはとても優しく美しかった。

「誰に渡せばいいの?」

 片腕に本、片手に水晶を持ったリノアが尋ねる。

 女性はにこりと笑うと、口を開いた。

「ここのガーデンの指揮官、スコール・レオンハートに」

 リノアは自分の騎士の名前が出てきた事に耳を疑う。

 まさか、ここで彼の名前が出てくるとは思っていなかったのだ。

 しかし、一度頼まれた事を無碍にする事はできない。

 リノアは頭を縦に振っていた。

「わかった。スコールに渡せばいいのね」

「本当にありがとう」

 女性は頬を緩ませていた。

「貴女と話ができて、とても楽しかったわ。ありがとう」

「私こそ、とっても楽しかった」

 二人は笑い合うと、女性の足が動き出していた。

 行ってしまうのかとリノアが思い、女性とすれ違った瞬間。

「スコールを、お願いね。リノア」

「――――――え?」

 リノアがすれ違った女性へと振り返った時には、彼女の姿はすでになかった。

 図書館はいつもの独特な静けさを漂わせている。

 リノアはおそらく女性が出ていっただろう図書館の入り口を呆然と見つめていた。

「…私、名前教えたっけ?」

 初めて会った時の違和感を思い出しながらぼぅとしているリノアの耳に、

「リノア?」

 大好きな人の声が入ってきた。

 リノアはびくりと肩を大きく震わせ、視線を過ごし動かせば。

「スコール」

 愛しの騎士がそこに立っていた。

「どうしたんだ?」

 盛大に驚いていたリノアに驚いたのだろう、スコールが少し目を見開いているとリノアはかぶりを振った。

「ごめんね、ちょっとビックリしちゃった」

「急に声をかけたか?」

「うーん…私もボーっとしてたから。…ひと休み?」

 スコールの顔を覗きこみながらリノアが問う。

 指揮官としてスコールの仕事は多い。

「ああ、そんなところだ」

「無理してない?」

「大丈夫」

 心配そうなリノアにスコールは笑って答える。

 スコールの笑顔に偽りを感じられない。リノアは顔を綻ばせた。

「ならよし! …あ、そだそだ」

 リノアは手にしていたものをスコールに差し出した。

「これ、スコールにって」

「俺に? …なんだ?」

「それは見てのお楽しみ! お礼だって言ってたよ?」

 怪訝な表情を浮かべるスコールとは対照的にリノアは楽しそうに言葉を弾ませる。

 リノアの雰囲気からして、おかしな事では無いだろうと察知したスコールはリノアから『お礼』を受け取った。

「これは…!」

 己が視界に映った物を見てスコールは息を飲む。

 スコールの手の中で輝くそれは、夢のような世界で自らが手にした輝きだった。

「誰がこれを!?」

 鋭い声色で問いかけてきたスコールにリノアは面食らったが、すぐさま立ち直る。

「私たちと同じくらいの女の人。さっきも言ったけどお礼だって言ってた」

 リノアはスコールの手に移った水晶を見てから、スコールの顔をもう一度見た。

「知り合い?」

 スコールはリノアを見て、

「………ああ」

 どこか困ったような笑みを浮かべた。

 しかし、その笑みには喜びも混ぜられているとリノアは知っている。

「スコールの夢じゃない夢に出てきた人?」

 かつてスコールが教えてくれた。現実味を帯びた、しかし不思議な夢。

 その夢の関係者ならばリノアが感じた違和感も納得できる。

 スコールはリノアの問いかけにどう答えようかと考えながらも、手の中の水晶を見た。

(こんな事が出来るヤツは、1人しかいないよな)

 スコールはふっと笑ってから、笑みを浮かべたままリノアを見つめた。

「ああ。俺たちを支えてくれた、大切な仲間だ」

 

 

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