さわさわと、風が木の葉を揺らす。

 青々と茂る葉を付ける樹はまさしく大樹と呼ぶに相応しいものだった。

 その樹の近くにひとつの影が降りてくる。

 巨大な羽を羽撃たかせる一頭の飛竜だった。

 そして飛竜の背には、1人の少女が乗っていた。

 世界最後の飛竜を持つバル王国のクルルだった。


 飛竜が地に着くと、クルルは飛竜から降りる。

「ありがとう! 飛竜!!」

 飛竜の頭を撫でてクルルは目の前に立つ大樹を見上げた。

 無との戦いから2年。

 去年も訪れたこの場所にクルルは訪れていた。

 祖父が眠る、偉大なる大森林の長。

 かつて燃やされた森は大樹だけを残し大半が燃え尽きてしまったが、大樹が再生を始めたことで周辺の木々もすくすくと育ち始めている。

 去年見た時よりも緑の量が増えた気がするのは、間違いでは無いだろう。

 クルルは大樹の根元を目指して歩き出した。

 ふと、根元に何かいる事に気付く。

 黒い、影。

 魔物かと思い緊張が走ったが、よく見えるとそれは黒いローブを着た人であることが解った。

 風が吹き、大樹の葉と黒いローブが翻る。

 柔らかく波打つその黒は、悪しき闇では無く安らぎを与える夜のように見えた。

(綺麗だなぁ)

 思わずその黒に目を奪われていたが、クルルの気配に気付いたのか、ふわりとローブが大きな動きを見せた。

 ローブを着た人が、クルルの方を見たのだ。

 クルルが我に返った時には、二人は視線を合わせていた。

 びくりと肩を強張らせてしまったが、相手はクルルの顔を見て目を丸めていた。

 いきなり人が来て驚いているのだろうと、他人事のようにクルルが思っているうちに、ローブの持ち主の顔が変わっていく。

 柔らかい微笑みに。

 予想していなかった表情にクルルは目を見開くが、次にその人が軽く会釈するを見て、完全に体の力が抜けた。

 悪い人ではないかもしれないと。

 その考えはクルルの胸にストンと入り込んでいた。

 

 クルルは軽く会釈を返すと、その人の所へと近付き始めていた。

 悪い人ではないかもしれないが、警戒するには越した事はない。

 戦士として幾度の戦いをしてきたクルルは適度な緊張を体に与えながらゆっくりとした足取りであるいていく。

 しかし、当の相手はなんとものんびりとしたもので、警戒も何もしているようには見えなかった。

 自分相手では警戒するに値しないという事なのか、それとも警戒する必要がないと思われているのだろうか。

 なんとも掴みがたい姿に、クルルは仲間の1人を思い出した。

 風のように自由気ままな旅人を。

「こんにちは」

 最初の声をかけてきたのは、ローブの人だった。

 声からして、女性であるとクルルはこのときようやく解った。

「こんにちは」

 クルルが返事を返すと、女性は嬉しそうに笑う。

 なんとも毒気を抜かされてしまう。

 少し呆れながらクルルは女性の横で立ち止まった。もちろん、距離は空けて。

 大樹の根元。クルルは空を仰いだ。

 木漏れ日が風と踊るように揺れる木の葉につられて、ゆらゆらと揺れている。

「綺麗ね」

 女性の声が耳に届く。

「この樹もとても力強くて、暖かいわ」

 それはそうだろう。

 この樹は森の長なのだから。

「この樹は…」

 クルルは言葉を発していた。

「この樹はとても凄いのよ。燃やされてされても強く再生してこの森を守っているの」

 森だけではない、おそらく世界をも守っているのかもしれない。

 四つのクリスタルと共に人と共に生きようとしているのだろう。

「本当に、強いのね」

 感心したような口調で言う女性を見ると、女性は大樹の幹に手を当てていた。

 幹に手を当て、上を見上げる女性の表情はとても優しい。

「旅の人?」

 クルルは女性に声をかけていた。

 警戒心は、とっくに消えてしまっている。

 だが、危ないとは思っていない。

 あんなに優しい表情で樹に触れる人が、誰かを傷つけるわけがないと、強く思ったからだ。

 女性は上を見ていた視線をクルルに向けると、小さく笑った。

「そんなところかしら」

「ここに来るのは始めて?」

 一歩クルルが女性に近付くと、彼女は少し考える仕草をして頷いた。

「話には何回か聞いていたけど、実際に来たのは初めてだわ」

 ぽんと女性は幹を柔らかく叩いた。

「良いところね」

 風が柔らかくそよぎ、木の葉は涼やかな音を立てる。

 大樹を支える大地は暖かく、大樹そのものも力強い。

「うん」

 女性の言葉にクルルは素直に頷く。

「本当に良いところだよ」

 祖父が眠りについているにはとても良い場所だろう。

 最愛の祖父がいなくなってしまった悲しみは時折ぶり返すが、それでも彼の心は自分と共にある。

 そして、ここにくればいつだって会えるのだ。

 祖父だけではない、クルルには仲間がいる。

 寂しいだけではないのだ。

「いつか、この森もかつての姿を取り戻せる日が来る。私はそう思うんだ」

 広く広大な、あの大森林を思い出してクルルはいま一度大樹を見上げていた。

「そうね、私もそう思うわ」

 優しい女性の声が森を走る風と共にクルルの耳に入っていった。

 

 お互い言葉は少なかったが、流れている空気はとても穏やかだった。

 森は変わらず風を運び、静かに音を立てる。

 どれくらい、そうしていたのだろう。

 飛竜の声が聞こえてきて、クルルはハッと我に帰った。

「あ、私そろそろ行かなくちゃ」

 長居をする予定ではなかったのだが、この空気があまりにも居心地が良かったためつい長くいてしまった。

 飛竜が呼んでくれなかったら、一体いつまでいる事になっていたのか。

 クルルは女性を見ると、女性も飛竜の声に驚いたのか少し目を丸めていた。

 その姿がおかしくて、クルルはくすくすと笑う。

 笑い声に気付いたのか、女性はクルルを見ると、決まり悪そうに笑った。

 それあがまた笑いを誘うが、それは失礼だと思いクルルは必死で堪える。

「帰るの?」

「うん」

「飛竜の所まで見送っても?」

 頷くクルルを見て、女性はそう尋ねてきた。

 女性の申し出を断る理由が無い。

「いいよ!」

 クルルは笑って答えた。

 見ず知らずの初対面相手に、良くここまで警戒心が無くなるものだとクルルは不思議に思いながら飛竜が待っている場所へ向かう。

 隣には女性が一緒に歩いている。

 纏っている空気は今も変わらずに穏やかだ。

 これが警戒心をなくさせるのだろうと思うと、本当に不思議な女性だと思う。

 だが、悪い気はしないとクルルは飛竜へと近付いた。

「ごめんね! 遅くなっちゃった!」

 飛竜へと駆け寄り、頭を下げてきた飛竜を撫でるとクルルは女性へと振り返る。

 女性は初めて見る飛竜をジッと見ていたがクルルの視線に気付いたのか、クルルを見ると笑った。

「飛竜って思ってたより大きいのねぇ、ビックリしたわ」

 簡潔な飛竜への感想を述べる女性の言葉を聞き、クルルはくすっと笑うと飛竜に飛び乗った。

「元気でね!」

 初めて会った人へ何と別れを告げてよい物か解らなかったが、当たり障りの無い言葉をかける。

「貴女もね!」

 女性は手を振ってクルルに言葉を返す。

 そのあと、女性はクルルに向かって何かを投げた。

 ゆるやかな放射線を描いて何かがクルルの所へ向かってくる。クルルは両手を伸ばして、それを受け取った。

 青く光る、紫のクリスタル。

 クルルの手の中で光るそれは欠片のようにも見える。

 しかし、小さなクリスタルは木漏れ日に照らされとても美しく、輝いていた。

 いきなりの事とクリスタルの美しさに、クルルが息を飲んでいると、

「今日の記念! 話せて楽しかったわ!」

 弾んだ女性の声が聞こえてきた。

 クリスタルから女性を見れば、彼女は微笑んで手を振っている。

 クルルはもう一度クリスタルを見る。

 そして。

「私も楽しかった! ありがとう!!」

 クリスタルを持たぬ手で大きく振る。女性が頷いたそのとき、飛竜は大きな翼を動かしていた。

 


 長老の樹での出来事から数日の後。

 自分の部屋でクルルは憮然とした表情で紅茶を作っていた。

「もう! 来るなら来るって手紙を出してよね!」

 言葉を荒くしながら、クルルは目の前の男を睨み付ける。

 しかし、男にはどこ吹く風だ。

「だってさー、手紙を出すよりも直接会いに来た方が早いだろ?」

 両手を頭の後ろに乗せ、のんびりとした感じで言い返すのを見て、クルルは溜息を吐き出した。

「こっちにもいろいろ都合があるのに…」

「それは悪かったって」

「ぜんぜん誠意が感じられないんだけど?」

「なんだよ、おれに会いたくなかったのか?」

「それとこれとは話が違うでしょう?」

 はぁ、と数度目の溜息を吐くが、実のところ彼が言うとおり会えて嬉しくない訳は無いのだ。

「会えて嬉しいのはお互いなんだから、きちんと連絡してくれるともっと嬉しいなって思っただけよ、バッツ?」

 クルルは男の顔を覗きこみながら彼の名を呼ぶと、バッツはクルルから視線を話して、気の抜けた音を口から出す。

 しばらくして。

「……ごめん」

 根を上げたのはバッツだった。

「よろしい」

 バッツの答えに満足げに頷き、お茶の準備を再開したクルルを見てバッツは憮然とした表情を浮かべる。

 ふと、何かが視界の端で光った。

「ん?」

 何の気なしに光った方を見て、バッツは腰を抜かしそうになった。

 クルルの部屋の机の上にある物、あれは。

 紫のクリスタル。

 かつて、自分が異世界で得た輝きだ。

 あれよりは小さいがしかし、確かにあのクリスタルは自分が見つけたものだ。

 どうして、クルルの部屋に。

「クルル」

「なに?」

 バッツの硬い声色にクルルは傾けていたポットを水平にすると、バッツを見た。

 彼の視線は一点を差していて、クルルも釣られてそちらを見ると納得した。

「あのクリスタル? この間長老の樹に行ったら、女の人がいてね。その人から貰ったの」

 美しい夜のローブを身に纏っていたと聞き、バッツはまさかと脳裏にとある人を浮かべた。

 彼女はローブを着ていなかったが、しかしこんな事が出来るのは彼女くらいしかいないだろう。

 なんで自分では無くクルルなのかと少し落ち込むが、この際しょうがない。

「なあクルルー」

「今度は何?」

 カップに紅茶を淹れ終わると、クルルとバッツは顔を見合わせた。

 バッツはにやりと人の悪い笑顔を浮かべる。

「これから面白い話をしてやるよ」

「おもしろい話?」

 人の悪い笑みを見て、クルルは嫌な予感がした。

 しかし、次に浮かべたバッツの表情にその予感は打ち消された。

「そう、おれが経験した凄い冒険の話」

 心から楽しそうに笑ったバッツの言葉にクルルは興味が出てきた。

「どんな話?」

 クルルは尋ねると、ただしとバッツは条件を付けてきた。

「この話が面白かったら、おれにあのクリスタルくれないか」

 バッツの条件にクルルは目を瞬かせたが、すぐににんまりと笑った。

「いいわ。その代わり、おもしろく無かったら承知しないんだから」

 

 

 さて、クリスタルの行方はいかに。

 

 

 

 

 

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