「とりあえず、こんなものかしら?」

 手にしていた道具を置いて、マリアは大きく伸びをする。

「ガイー! そっちは大丈夫ー!?」

 少し離れた所で作業をする幼馴染に大きな声で声を掛けると、ガイは笑って手を振った。

「大丈夫そうね」

 ガイに手を振り返し、マリアは目前に広がる世界を見た。

 パラメキアとの戦いから数ヶ月、世界は再生へと向かっていた。

 皇帝によって壊滅した国々はフィンを中心にまとまり復興を始めている。

 反乱軍の中核となっていたマリアたちも今は復興の手伝いをしながら、自分たちの生活を営んでいる。

 復興と共に野を耕し新たな土壌を作っているのだ。

 戦争によって大地は荒れてしまい、作物が育つ場所が少なくなってしまったのだ。

 世界の復興には町だけ出なく大地の再生も不可欠である。

 マリアたちは今、フィン郊外の村に家を構え土を耕していた。

 初めの頃はなかなか植物の芽が出ずに落ち込んだ事もあるが、植物は強い。

 マリアたちの頑張りに答えるように荒れた地に芽吹き、すくすくと育っている。

 マリアの視界には緑の大地とそうでない黒茶の大地が映っている。

 緑の大地よりも黒茶の大地の方が面積が多く、この地を緑で埋め尽くすのは時間が掛かりそうだとマリアは溜息を吐きそうになった。

 しかし、何気なく下を向いた瞬間に映ったものを見て、吐き出されようとしていた息を止める。

 のばらが、咲いていた。

 フィンの国花であり紋章でもある、フィンの象徴。

 そして、自分たちにとって大切な合言葉だった。

 わずかな風に揺れるのばらを見て、マリアはグッと両手のこぶしを握った。

「そうよね。急がなくても良いんだわ。ゆっくりと確実にやっていけばいいんだもの」

 初めて荒れた大地を見て、これを緑に変えるのかと思った時とても気が遠くなるのを思い出した。

 しかし、彼は言ったではないか。

「時間がかかっても良いんだ。俺たちが諦めなければ、大地はきっと花と緑で満ちるはずさ」

 途方も無い時間を目の前にしても輝きを失わなかった幼馴染であり義兄でもある彼の姿を脳裏に浮かべて、マリアは再び道具を手に持った。

 

 

「こんにちは」

 声をかけられたのは、マリアが作業に精を出していたその時だった。

 マリアは大地から目を離し、顔を上げて声の主を見た。

 黒く大きなマントを羽織った、女性が立っていた。

 出で立ちからして旅の者だろう、しかし。

(黒い…)

 マントが女性の体を覆っているせいか、全体的に黒いイメージだ。

 だが、不思議と嫌悪感を感じない。

 黒と言えば帝国のダークナイトを思い出しそうになるため、あまり好きではないのだが。彼女の纏う黒はそれを思い出させなかった。

 恐怖の黒ではなく、穏やかで安らぎを与える黒。

 夜だ。

 マリアはそう感じた。

 女性は夜を纏っているのだ。

 そう思うと、なぜか彼女への警戒心も薄れてしまっていた。

「こんにちは」

 マリアはにこっと笑って女性に言葉を返していた。

「精が出ますね」

「ええ」

 女性にマリアは頷き答える。

「ここは全部貴女が?」

 辺り一面を見て女性が尋ねると、まさかとマリアはくすくすと笑う。

「私だけじゃさすがに無理ですよ。私と義兄と幼馴染…他にもいろんな人が手伝ってくれるんです。ほら、あそこで手伝ってくれている人たちがいるでしょう?」

 マリアが指差す方にはガイを含め、多くの人が道具を持って働いている。

 ガイがマリアに気付いたのか、手を止めて手を振っている。

 マリアは手を振り返したあとで女性を見た。

「ね?」

 女性の顔を覗きこむようにマリアは視線を向けると、彼女は決まり悪そうに笑った。

「確かに」

 気恥ずかしそうな女性の笑みを見てマリアは話を続ける事にした。

 どうにも敵意を感じさせない、不思議な人だと思いながら。

「あなたは旅の人?」

「ええ」

「どこから来たの?」

 マリアの問いかけに女性は少し考えるそぶりをした後、茶目っ気たっぷりにウインクをして見せた。

「ナイショ」

「えー」

 まさかそう切り返されるとは思っていなかったので、マリアは唇を尖らせる。

 幼く見えるマリアの仕草に女性は頬を緩めると、辺りを見渡した。

「どうしたの?」

 何かを探している女性にマリアは表情を戻して、尋ねれば。

「フリオニールはいないのね?」

 彼女はさらりととんでもない事を答えてくれた。

 きゅっとマリアの眉が顰められる。

「…フリオニールを知っているの?」

 心なしか不機嫌な声色を出すマリアに女性は目を丸めたが、そのうちに何か納得したのか小さく笑った。

「知っているも何も、彼は帝国の支配から世界を守った救国の義士じゃない。知らない人がいたら会ってみたいわねぇ」

 女性の言葉にマリアは幼馴染で義兄でもあるフリオニールの立場を思い出し、あっと声を上げた。

「やだ、私ったら…ごめんなさい」

 よほど恥ずかしいのか。マリアは両頬を両手で包み、女性から視線を離した。

 女性は可愛らしい動作をしたマリアへ笑顔を返した。

「気にしないで。知らない人にいきなり自分の大切な人の事を尋ねられたら、不機嫌にもなるわよね。こっちこそごめんなさい。気が利かなかったわ」

 マリアは顔を女性に向け直すと彼女も困惑の表情を浮かべていた。

「いえ、私の方こそ…」

 どうにも今と昔の違いを忘れてしまいそうになる。

 たしかに、変わらぬ事もある。自分と兄、フリオニールやガイとの絆がそのもっともたることだ。

 しかし、帝国との戦いで多くを失い、多くを得た事も確かなのだ。

 マリアたちは変わらぬ日々を送っているが、それでも自分たちが成した事はしばらくの間忘れられる事はないだろう。

 現に――。

 お互いひとしきり謝ると、マリアは女性にフリオニールの所在を明かした。

「彼は今フィン城にいるんです」

「フィン城に?」

 驚いた表情を浮かべる女性にマリアは言葉を続けた。

「ええ。ヒルダ様…女王陛下に会いに」

 現に、フリオニールは各国と強い繋がりを今でも持っている。

 本人は困った顔を良くしているが、それでも呼ばれれば行く辺り自分だけではなく国――ひいては世界の事を考えているのだろう。

 そう、思わずにはいられない。

「そう、フィン城に…帰ってくるのはしばらくかかりそう?」

「多分。明日には帰ってくるって手紙が来たけど…」

「そっかぁ」

 マリアから視線を外し、女性はどうしたものかと顎を指に軽く乗せ、考えを巡らせる。

 しばらくして、考えついたのか。

 こくりとひとり頷き、女性はマリアへと顔を戻す。

「マリア」

「………なに?」

 いきなり名を呼ばれてマリアは驚いた。

 しかし、フリオニールの名を知っているのだから自分の名を知っていてもおかしくは無いだろうと思い直し女性に応えると。

 女性は手を差し出してきた。

「これを、フリオニールに渡して欲しいの」

 彼女の手の中にある物を見て、マリアは目を見開いた。

 薔薇色の、クリスタル。

 小さな欠片に見えるが、おそらくこれでひとつの形だったのだろう。とても美しく輝いている。

 いままでクリスタルを幾度か見てきたが、ここまで美しい物を初めて見た気がするのは間違いではないだろう。

「たくさんの人が彼に助けられた。私もその1人で…そうね、お礼がしたかったの」

 ぽつりと、女性がクリスタルを見て言葉を告げる。

「フリオニール。貴方の夢が叶うことを心から願っている。そう伝えてくれると、嬉しいな」

 女性が表情を綻ばせる。とても、穏やかに。

 とても柔らかいその表情にマリアは思わず惚けていた。

「わかったわ。必ずフリオニールに伝える」

 確かな意思を持って頷けば、女性は微笑んだ。

「ありがとう」

 マリアの手に薔薇色の輝きが降りてきた。

 

 

 翌日、マリアに宛てた手紙どおりにフリオニールは帰ってきた。

「お帰り、フリオニール」

 マリアがフリオニールの家の前で嬉しそうに出迎えていた。

「ただいま。…俺がいない間に、何かあったか?」

 家族の出迎えに表情を緩ませながらフリオニールが問いかけると。

「大丈夫、畑の方も調子が良いわ。あ、そうそう。旅の人がフリオニールに会いに来たわよ」

「旅の人?」

 マリアの報告を聞いて、フリオニールは首を傾げる。

 帝国との戦いの最中と今現在でいろんな人に会っているが、自分の住んでいるところまで会いにくる人は稀だった。

「どんな奴だった?」

 再度フリオニールが問いかけると、マリアは腰に掛けてあるポーチから何かを取り出す。

「黒い…綺麗な夜空のマントを羽織った女の人よ。フリオニールに助けられたって、これを渡して欲しいって」

 マリアはポーチから取り出した物を、フリオニールに見せた。

 美しく薔薇色に輝く、クリスタルを。

 瞬間、フリオニールの表情が変化した。

 マリアはそのときの彼の顔を、忘れる事は無いだろう。

 驚いている中に、懐かしさを感じると言う。とても複雑な表情を、彼は浮かべていた。

「フリオニール」

 クリスタルを凝視したまま動かなくなったフリオニールにマリアは声を掛ける。

 マリアが声を掛けてもフリオニールはしばらく動かなかったが、少しして。

「その人、何か言ってなかったか?」

 震える声で小さく問うてきた。

 おそらく、フリオニールはこのクリスタルの贈り主を思い至ったのだろう。

 マリアはそっとささやいた。

「『フリオニールの夢が叶うことを心から願っている』」

「そうか………」

 ようやく、クリスタルを見つめていたフリオニールの表情が和らぐ。

 そして、マリアの掌にあるクリスタルをその手に納めた。

「元気そうで、良かったよ」

 己が手の中に入ったクリスタルを見て、フリオニールは脳裏にとある存在を思い浮かべる。

 彼女は今でも笑っているだろうか。

「フリオニール」

 記憶の中の彼女の顔を思い浮かべていると、マリアの声ががフリオニールの鼓膜を打つ。

 フリオニールが顔を上げると、マリアが興味津々と言った態で彼の顔を覗きこむ。

「あの人、だれ?」

 実にシンプルな質問に、フリオニールはニッと笑って答える。

「俺の、大切な仲間さ」

 今まで黙っていた物語を話すときが来たのかもしれない。

 夢を願い走り続けた、あの異世界での戦いを。

 フリオニールは優しくとも力強く、クリスタルを握り締めた。

 

 

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