「太真、何を作ってるんだ?」

 西王母に呼ばれて天宮へと赴いた丁度そのとき厨房から甘い匂いがしてきた。

天女が菓子を作ってるのか興味が出てきて中を見れば青の髪を一つに束ねた天女が厨房と所狭しと駆け回っていた。

青髪の厨房にいる天女など最速一人しか思いつくことが出来ずに観世音は天女の名前を呼んでいた。

太真と呼ばれた天女は驚いたように振り返ると厨房の入り口に立っている観世音に眼を丸めた。

「か、観世音菩薩様?」

「よっ」

 口の端を上げて軽く手を上げた観世音に太真はすっと頭を下げてそれでも観世音がここにいるのに相当驚いたのだろう空色の眼を

丸くしたまま首を傾げた。

「どうしてこのようなところに…」

「西王母に呼ばれてよ。その帰りだったんだが厨房から美味そうな匂いがしてさ。誰が何を作っていたのかが気になって覗いてみたら

お前だったんだな」

「あ、はい」

 観世音がここにいる理由が解ってようやく太真は知らずのうちに強張っていた肩の力を抜いた。

途端に何かを思い出したのか、太真が慌てたように走り出した。

向かった先は…どうやらオーブンのようである。

オーブンの戸を開けてじっと真剣な表情で中身を見る太真。

じっとオーブンの中を険しい表情で見ていた太真がホッとしたように息を吐いて手にミトンを嵌めるとオーブンの中から何かを取り出した。

ふわりと甘い匂いが鼻をくすぐったと思えば太真の手方出てきたのは綺麗に焼けたスポンジだった。

観世音は出来上がったばかりのスポンジを見て口を開いた。

「ケーキか?」

「はい。丁度明日、下界の方でバレンタインがあると天蓬様からお聞きして…」

「バレンタイン……ああ、菓子会社の陰謀か」

 何処かで聞いたことがある言葉に観世音は首を縦に振りながら納得していた。

菓子会社の陰謀と言う言葉を聞いて、太真は苦笑した。

「金蝉様と同じことを仰るんですね」

 下界の娘たちは必死なのにと苦笑する太真を見て観世音はそれが何だといわんばかりに肩を上げた。

「間違いじゃないだろ? …で、お前はその行事に則ってチョコレートケーキでも作るのか?」

「ええ。悟空が食べたいと言ったものですから」

 太真は笑うとコレまでのいきさつを独り言のように話し出していた。

 

 

最初に悟空がその言葉を見つけたのはきっと天蓬の部屋にあった百科事典だったのだろう。

「ねぇ天ちゃん、ばれんたいんってナニ?」

 いきなりの質問に天蓬は眼を丸めると悟空の手には百科事典。

読める字で解らない単語だったからタダ純粋に天蓬に聞いてきたのだろうことは一目瞭然。

天蓬は悟空に近付いてしゃがむとにっこりと笑って話し出した。

「バレンタインっていうのはですね、女性が自分の好きな人にチョコレートをあげて告白する日なんですよ。

本来は男女お互いに好きな人や恋人に花やお菓子を渡したり感謝の気持ちを伝えたりする日だったんですけどね」

「……なんでそれがチョコになったの?」

 しかも女性限定に?と小首を傾げて聞いてくる悟空に答えたのは

「どっかの菓子会社が売り上げを伸ばすためにチョコレートにしたんだよ」

 部屋に入ってきた捲廉だった。

「ケン兄ちゃん!」

「捲廉…実も蓋も無い」

「ちがっちゃイナイだろ?」

「そうですけどね」

 ニヤッと笑う捲廉に天蓬は呆れた笑顔で返す。

笑いあう二人を悟空はただジッと見ていた。

売り上げとか陰謀とか、イマイチ良く解らないがでもとりあえず悟空が解ったことは…。

「そっか…バレンタインって好きな人にチョコをもらえる日なんだぁ」

悟空の解釈はいささか間違っているが、それをこの幼子に教えると言うのは難しいだろう。

悟空の好きな人の中で女性なのは一人しかいない。

さらさらの青い髪と空色の瞳が優しい女神。

今日も来るはずである。

来たらさっそく頼んでみようと悟空がニコッと笑った瞬間。

天蓬の部屋のドアが開いた。

「失礼します。天蓬様?」

「ああ、太真。どうぞ」

 天蓬が声をかけスッと入ってきたのは悟空が思い描いていた女神。

彼女の隣には金蝉もいる。途中であって一緒に来たのだろう。

悟空はすくっと立ち上がるとたたた〜と太真にむかって走り出した。

ドン、と太真の腰に抱きつく。

すっかり定番となってしまった悟空の太真への挨拶。

太真最初の頃は悟空の勢いに何度倒されそうになったか解らないが今では流石に慣れてよろけることも無くなった。

太真は腰に抱きついてきた悟空を見てこんにちは、と挨拶をしようとして口を開いた瞬間。

「太姉ちゃん! 俺にチョコ頂戴!!」

 キラキラノ笑顔で太真の顔を見上げていた。

突然何を言われたのか解らずに太真は眼を丸めた。

「えっと…悟空?」

「なに?」

 太真が驚いたのを見て悟空は笑顔を消すとキョトンと首を傾げる。

小首を傾げる悟空は大層可愛らしいのだが、しかし今はそれどころではない。

太真は悟空から手を離してもらい幼子と同じ視線になるためにしゃがんだ。

「悟空、どうしてチョコなんですか?」

 しかもいきなり頂戴いだなんて。

訳が解らないとばかりに聞いてくる太真に悟空はだってと口を開いた。

「だって明日はばれんたいんなんだろ? ばれんたいんって好きな人からチョコをもらえる日なんだろ?」

 悟空は至極普通のことを言ったと信じて疑っていないが、太真は違った。

一体、何の話をしているのだ?

と言うか、ばれんたいんとは、一体…。

太真はどこか期待に満ちた悟空の視線に困ったように笑ってからすぐに天蓬の方を向いた。

「天蓬様……」

 これは一体どういうことだ?と視線で聞かれ天蓬はただ乾いた笑みを浮かべるしかなかった。

 

 

手早く太真に状況とバレンタインを説明した天蓬。

早い話、悟空はバレンタインを間違えて解釈してしまったようだ。

【好きな人にチョコレートを渡す】が【好きな女性にチョコレートが貰える】と言うふうに。

「それで悟空はわたくしにチョコを……」

「恐らく」

 なるほど、下界には面白い行事がある、と太真が感心していると金蝉が小さくため息を吐いた。

「全く下界の菓子会社の陰謀に踊らされるなんて…」

「あら、金蝉様。こういうものが無ければ思いを伝えられない女性もいるんですのよ。むしろ良い日じゃありませんか?」

「ふん」

 下らないと言わんがばかりに鼻を鳴らす金蝉に太真は苦笑した。

ここに来てようやく悟空もバレンタインをきちんと理解できたようで、しょんぼりとしていた。

「そっか…。貰えるんじゃなくて、渡すんだぁ…」

 お菓子が食れると思っていてきちんと聞いていなかったようだ。

捲廉は悟空がきちんと聞いていなかったことを悟ってグリグリと悟空の頭をかき混ぜた。

「ッたくお前は食いもんのことになるとホント見境がねぇな」

「いたいいたい! なんだよケン兄ちゃん! しょうがないだろ!」

「しょうがないっつってもなぁ……」

「解りました」

 悟空の頭を楽しそうにかき回していた捲廉が動きを止めた。

捲廉だけではない、金蝉も天蓬も固まった。

悟空だけが一体何が起こったのか把握できていない。

3人の視線の先にあるのが、太真だと言うことは解るのだが。

何で固まるんだ?

悟空が首を捻っていると太真はふわりと笑った。

「バレンタインは感謝の気持ちを表す日でもあるのでしょう。それならわたくし、皆様にチョコレートを差し上げたいのですが…」

「えっ…太姉ちゃん、それって…」

 悟空の眼に期待で輝く。

太真は悟空を見て柔らかく頷いた。

「ええ。明日のバレンタイン、楽しみにしていてくださいね」

ふわりと笑って言う太真に悟空は大輪の笑顔で答えた。

「おう!」

 

 

湯煎で溶かしたチョコレートを冷めたスポンジにぬっていく。

ムラにならないようにと表情は真剣そのものだ。

多少のムラは出来てしまったがそれでも見事なほどに綺麗に出来上がったケーキ。

後は飾り付けをするだけだ。

冷蔵庫へ走る太真を見て観世音はへぇと呟いた。

「で、チョコレートケーキって訳か」

「はい。本当は別々の方が宜しいのでしょうけど…でも皆様で楽しく食べて頂きたいから」

 冷蔵庫からいくつかの飾りを取り出すと太真はと観世音を見た。

「いくらお菓子会社の陰謀だろうとなんだろうと、その起源は神の愛を伝えるものだと言うことを聞きました。

神であるわたくしが言うのもなんですが、それはとても尊いもののように思えるのです。

男女のためだけに愛が存在しているわけではありません。家族のため、親しい友人たちのためにも愛はきちんと存在していて。

バレンタインは、それを表すためのものではないかと、思ったんです…。あくまでわたくしの考えですが」

 ニコッと笑う女神はケーキに最後の仕上げをしていく。

厨房に漂う香りは甘いが、むせ返るような甘さではない。

丁度良いというか不快になるほどの甘さではなく観世音はふっと笑う。

「まあ、愛なんてもんは生きてるヤツの数だけあるからな。お前がそう思うんなら、それもアリなんだろうぜ」

 太真が4人を想って作ったケーキはきっと優しい味がするのだろう。

観世音は知らずのうちに穏やかな表情を浮かべていたのだろう、太真がケーキを仕上げて観世音をの方を向いたときふわりと笑って

いた。

 

 

白い箱に入れて金蝉の部屋の戸を叩く。

だだだだ、と威勢の良い足音が聞こえてきたと思えば、バン!と勢いよく戸があいた。

「いらっしゃい! 太姉ちゃん!」

「こんにちは、悟空」

 お菓子を持ってきていると確信していたのか悟空は太真に抱きつくことなく戸を開けて早く早くと太真を急かしながら部屋へと入って

行った。

太真が入るとすでに天蓬も捲廉もいて太真はあらあらと思いながらも笑顔で白い箱を4人が座っているテーブルの上に置いた。

ワクワクと言った感じで眼を煌めかせる悟空を見て太真はゆっくりと箱を開ける。

「わぁ! ケーキだ!!!」

「デコレーションケーキですか」

「美味そうじゃん」

 悟空は嬉しそうに声を上げ、天蓬がにっこり笑い、捲廉が凄そうに眼を丸めた。

金蝉は何も言わなかったが、その眼は大変だったなと労っていた。

「チョコレートを使ったものなら何でもいいと聞いたので。それなら皆さんで一緒に食べられるモノをと思ってケーキにしてみました」

「ありがとな! 太姉ちゃん!」

 悟空が真っ直ぐに太真を見つめて笑顔で礼を口にした。

太真は悟空に頭を振るとふわっと笑った。

「いいえ、喜んで頂けたみたいで嬉しいですわ」

「んじゃさっそく食べるか」

 捲廉が何処から持ってきたのか小皿を並べ始める。

「お茶の用意はもう出来てますしね」

 テーブルの端に置いてあったカップを取り出しお茶の準備をする天蓬。

ワクワクと自分にくるケーキを心待ちにする悟空。

ケーキを見て違和感に気付いたのは金蝉だった。

「太真」

「はい」

 太真が金蝉に近付くと彼はスッとケーキを指差す。

「なんでケーキが欠けてるんだ?」

 ぱっと見た感じではそういう形なのだろうと思わせるが、どう見ても不自然な形。

味見でもしたのかと聞けば、太真は笑顔で頷いた。

「はい。ああ、でも…」

「? なんだ?」

 何かを思い出したように頬に手を当てた太真に金蝉は心配そうに聞く。

心配そうな表情を浮かべた金蝉に太真はかぶりを振った。

「いいえ、何でもありませんわ」

 ただ、感想を聞き忘れたなと思って。

その言葉は決して口にしなかった。

 

二郎神は観世音が何かを食べているのを見て目を丸めた。

「観世音菩薩、何を食べていらっしゃるのですか?」

 目の前の蓮を見ながら何かを食べているのだ。

甘い匂いからして恐らく菓子であろうことは解るのだが、一体何処から持ってきたというのか。

二郎神の言いたいことが解ったのか、観世音は菓子を食べながら答える。

「あー……毒見だ」

「………はい?」

「ふわふわした女神の作ったチョコレートケーキでさ腕は結構磨いてあったみたいだけど初めて作ったケーキだから心配になったつって

俺に味見させてきやがってさ」

 嘘だ。彼女が渡してくれたのだ。

『観世音菩薩様にもいろいろお世話になっていますから』

 甘い香りを漂わせて差し出されたケーキ。

唖然とする二郎神を横目に観世音は最後のひと欠片を口に入れると満足そうに笑った。

「感想聞かせてくれ、か。………ナカナカ美味かったぜ、太真」

 優しい女神の作ったケーキは自分が予想した通りの味がした。

 

 

 

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