意外な事実
終業のチャイムが鳴り、魔導院全体の空気が緩やかになった。
朱を纏う0組も例外ではなく、ある者はクラサメが終業の号令を放った瞬間に教室を飛び出していき、ある者は大きく伸びをして裏庭への扉を開けてその向こうへと消えていく。
次の授業時間まで各々の時間を持ち始めていく。
そんな穏やかな空気の0組教室の扉が開かれたのは、すぐのことだった。
飛び出していった仲間が帰ってきたのだろうと扉に目もくれなかった者たちだったが、彼らの横を通り過ぎたときに違和感を感じ顔を上げる。
まっすぐに教壇に向かっていくその姿に朱のマントはなかったからだ。
赤い三角の文様が横にいくつも並んだ裾がひらひらと揺れるのが視界に映り、彼らは目を丸めた。
士官とも局員とも違う服を着ているのは、生成り色のローブを着た、小柄な女性だった。
その姿を見て、ある者は目を丸め、ある者は首を傾げる中、彼女はまっすぐに教壇に向かう。
教壇には教室から出ようと準備をしているクラサメが、教卓の上には彼の従者であるトンベリがいる。
「クラサメ」
教壇の前まで来ると、彼女はクラサメの名前を呼び顔を上に向けた。
彼は、彼女の存在に気づいていたのだろう。驚くことなく彼女に目を向ける。
「か、どうした?」
いつもは鋭い彼の眼光が彼女――――を見たときに優しくなったのは気のせいか。
教室にいる朱の子供たちがますます目を丸めている中、クラサメとの話は進む。
は教壇の向こう側まで足を運ぶとクラサメの隣、教卓の上に座っているトンベリへと顔を向ける。
トンベリはじっとを見つめていた。
一人と一体は目が合うと、はトンベリへと手を伸ばし彼の頭を優しく撫でた。
気持ちよさそうに目を細めるトンベリを見ても嬉しそうに破顔すると、顔をクラサメへと向けた。
「クラサメ、明日用事ある?」
トンベリの頭を撫でながらは問いかける。
「明日…」
明日は休息日だ。
魔導院とて1年中授業や実習をしているわけではない。
週に2度、休息日がある。
もちろん、戦時中であるため召集がかかれば出なければならない。
しかしそれ以外ならば、1日体と心を休めることはできる。
少し考えてからクラサメは首を横に振った。
「いや、少し仕事があるが大丈夫だろう。どうかしたのか?」
クラサメの返事には顔を輝かせた。
「あのね! マクタイのスイーツショップが営業再開したって葉書がきたんだよ!」
「…本当か」
目を少しだけ見開き驚くクラサメ。
ルブルムに位置する地方は魔導院がある土地柄と言う事もあり皇国軍侵攻の際、最も被害が大きかった場所の一つだ。
その戦火が過ぎてからまだ暫くしか経ってはいないというのに。
朱雀の土地に生きる人々の強さと逞しさにクラサメは素直に感心した。
そんな彼を見ては楽しげに話を続ける。
「うん! だからさ、エミナとカヅサ誘って一緒に行こうよ」
は両手を背中で組み、クラサメの顔を覗き込むように見上げる。
「エミナは担当してるところないし、カヅサはどーせ研究所に引き篭もってるだけだし、私も1日だけならプログラムで何とかなるし。
クラサメが大丈夫なら久しぶりに4人で食べにいけるなって思って」
「そうか……だが」
マクタイのショップが再開したのは素直に嬉しい。
しかし0組を率いる身、仕事も少しだけだがある。
大丈夫だろうか…。
いろいろと考え、クラサメは少し渋る。
(あ、またいろいろ考えてる)
はそんなクラサメの気持ちを察しながらそれでも諦めずに、彼の腕を掴んだ。
「行こうよークラサメー。明日なにが起こるか解らないこんなご時世、次はもうこういう機会、ないかもしれないんだよ?
仕事なら0組の機密に関わらないところで手伝うからさー。行こうよクラサメー。せっかく4人で集まれるんだよー。ねーねー」
ぶらぶらとクラサメの腕を揺するを見て、教室に残っている0組の生徒たちは目を剥いた。
氷剣の死神と謳われているクラサメの実力を、0組は嫌と言うほど見せ付けられている。
性格も氷剣と言う名だけあってか、冷たい印象を持っている者も多い。
そんな彼に気軽に話しかけ、あまつさえ彼の手を取り揺するなど。
0組の子供たちではおおよそ思い付かない事ばかりをやらかす目の前の白いローブは、とても子供っぽく甘えた口調でクラサメに話し掛けている。
を知っている者たちは普段の彼女を知っているので特別驚きはしないと思っていたが、ここまで甘えたな感じになるとは思わずやはり驚いている。
更に驚くべきは、あのクラサメが彼女に対してなすがまま、と言うことだ。
制止の気配を彼から感じる事はなく、むしろとても穏やかな気を放っているように見える。
普段の彼からは想像もできない雰囲気に動揺と驚きを隠せない空気を感じているのかいないのか。
クラサメは自分の腕を掴んでいるを見つめていた。
の口調は軽いが、目は本気だ。
クラサメは己の従者を顔を見合わせる。
ジッとクラサメを見つめるトンベリ。
彼の言わんとしている事が解ったのか、クラサメはマスクの下で淡く笑った。
「解った」
ぴたりと、揺れていた腕が止まる。
ひたすらにクラサメを見つめるに彼は目を細めて頷いた。
「せっかくの誘いだ。行こう」
一瞬の間が開く。
そしてクラサメの腕を揺すっていた手を離し、は両手を合わせ顔を嬉しそうに綻ばせた。
「ありがとうクラサメ! これであとはエミナとカヅサを誘うだけだね!」
「……まだ誘ってなかったのか?」
この言葉を聞いてクラサメは目を丸め、呆れたような声を上げる。
呆れたクラサメの表情を感じ取ったのか、は決まり悪そうに笑った。
「エミナは誘えばオッケーしてくれるだろうけどカヅサがね…クラサメが行くって言えば絶対行くから、アイツなら」
「――――俺はダシにされたのか」
小さく、クラサメの口から息が漏れる。
が、はすぐに彼のため息を弾き飛ばした。
「違うよ! クラサメがいなきゃ始まらないって話!」
睨むようにじっと見上げるの目は真剣そのもの。
少しばかりでないほどに正直な彼女は昔とあまり変わっていない。
それがどこか嬉しくて、クラサメは目尻を下げる。
「解ってる、冗談だ」
クラサメの小さく変化した表情をは見落としてしまったのか、釈然としない表情を浮かべた。
「ホントかなぁ…。まあいいや、明日楽しみにしてるからね!」
しかし、その表情も長くは持つ事はなく、すぐに笑顔を見せる。
こういうところがの長所だ。
ますます微笑ましい気持ちになってクラサメの心は穏やかになっていく。
「ああ」
「都合が付いたらCOMMで連絡して、こっちからもするかもだけど」
「解った」
「じゃあ…」
「ちょーっと待ったー!」
バン!
和やかに話していた二人の間に突如落ちてきた打撃音と叫ぶような声。
何事かとクラサメとは揃って音がした方を見ると。
教卓の真正面、一番前にある長机。
その左側に位置する場所に手を付きケイトが立ち上がっていた。
彼女の表情は驚きとどこか納得できない、理解不能という気持ちを浮かべているのを見て。
なるほど、打撃音はケイトが机を叩いた音か。
どこか呆然としつつも冷静にそんな事を考える二人に向かってケイトは口を開いた。
「あんたら、なに二人でまったり話してるのさ! つか、あんた!」
ケイトはへと指を向ける。
「ケイト、人に指を向けるな」
クラサメの言葉を聴いているのかいないのか――おそらく後者だろう――ケイトはそれを無視して話を続ける。
「あんた、クリスタリウムの司書でしょ! なんでこんなところにって言うか隊長と知り合いなの!? ってか隊長甘いもの食べるの!?」
ようやくケイトが言いたい事が解ってきた。
よくよく見ると、教室に残っている0組全てが最初の驚きはどこへやら、興味津々にこちらの様子を窺っている。
クラサメはに顔を向けた。
その視線はどこか困っているように見てとれた。
「言ってなかったのか?」
もで少し呆然としながらクラサメを見上げた。
「え? 別に聞かれなかったし。クラサメだって言ってないじゃん」
「聞かれなかったからな」
「聞かれてないものをベラベラ喋るのもね…」
「そうだな」
「ちょっとー! また二人の世界に入らないでよぉ!」
ケイトのツッコミが耳に入る。
別に入ってない、と二人は思ったが敢えて口にする事はなく二人は一瞬のアイコンタクトの後に頷き合うと、クラサメがケイトたちの方を見て声を出した。
「諸君も知っている者はいるだろうが改めて紹介しよう。彼女はクリスタリウムの司書を勤めている・。私とは同期に当たる」
クラサメの紹介にはニコニコと笑顔を子供たちへと向ける。
「クリスタリウムに来てる子も来てない子も改めてよろしくね! あとケイト、クラサメは甘いもの良く食べるよ」
「うそ!」
「ホント」
おそらくあのクラサメが甘い物を食べるとは想像もしていなかったのだろう。
ケイト含め、他の0組のメンツも驚きを隠せていない空気が伝わってくる。
その空気を感じて再びクラサメはに視線を戻す。
「私よりもカヅサやお前の方が良く食べるだろう?」
もまた、視線をクラサメに合わせる。
「でもクラサメも良く食べる方だと思うよ。甘いの食べるって言うと驚かれるのは変わらないね」
「そんなに似合わないか?」
眉を少しだけ下げて、困った様な表情を浮かべるのを見て、は苦笑いを浮かべた。
「イメージ湧かないんじゃないかな? 私らはもう慣れてるって言うか最初から知ってるから違和感も何もないけど」
「そうか」
の言葉に一応の納得を付けて、クラサメの表情は元に戻す。
一軍人の顔はケイトたち朱の子供らへ向けられる。
「他に何かあるか?」
聞きたい事は今のうちに聞いておけと言うクラサメの言葉外からの声を聞き、顔を見合わせる0組。
顔を見合わせた彼等の表情は、今は良い、と一致していた。
なので、彼等はクラサメとの方を見て一斉に首を横に振った。
一斉に首を横に振る生徒たちを見ると、そっか、とは小さく呟いた。
「じゃあ、私はそろそろ失礼するかな。せっかくの休み時間潰しちゃってゴメンね」
「クリスタリウムに帰るのか?」
「ううん。リフレでご飯買って行こうかなって」
「同行しても?」
「いいよ!」
クラサメの申し込みには弾んだ声で即答する。
素早く教卓の上を片付けてクラサメはと肩を並べて歩き始めた。
トンベリはの腕の中だ。
「なに食べよっかなー。クラサメはなに食べる?」
「そうだな。とりあえず、向こうについてから考えよう」
「高菜のおむすびが気になるんだよね。あ、そうそう。この間言ってた『防御魔法においての精神と知性の依存率』なんだけど」
「どうした?」
「最新の第4版が昨日届いたんだけど、項目が改訂されてて前版と変わってる部分があるんだ。防御魔法どこまで進んでる?」
「その本だと、3章目に入ったところだ」
「あ、良かった。改訂部分は5章なんだけど防御魔法を使ったときの精神と知性の反比例率が変わっててさ、魔法局が今急いで検証してるみたいだから…」
「解った。魔法局の検証が終わるまで、そこはとりあえず省いておこう」
「お願いね。反比例率の変動なんて、ここ50年位なかったのに…クリスタルが弱体化してるのかな?」
「さあ。クリスタルの事は私たちの耳に届く事はないから、解らないな」
「クリスタルの事ももっと色々知りたいんだけどなぁ…」
「無闇に足を突っ込むなよ」
「解ってるって」
他愛もない話をしながら、黒と白の背中は教室の扉を開けて去って行く。
ゆっくりと扉は開き、そして閉まっていく。
扉が完全に閉まり、教室はいつもと変わらぬ休憩時間のものとなった。
しかし、生徒たちは扉から目を離せずにいた。
この数分間で、あまりにも色々な事が起こりすぎた。
クラサメの交友関係や嗜好。
クリスタリウムの司書の予想だにしなかった言動。
ケイトの他にも教室に残っている朱の子供たちはクラサメの意外な一面と、意外な友人を垣間見てしばし、目を丸めていたのであった。
当然、この事は教室を出て行った仲間たちにも伝わる事となる。
Fin
あとがき
クラサメの腕を引っ張って「行こうよーねーねー」と言うヒロイン。
成すがままのむしろ嫌がらないクラサメ。
クラサメは甘いもの好き。
それを見てビビる0組。
が見たかったので書いてみました(笑)
しかし、司書が子供っぽすぎるかもしれない…まあいいか(おい)
時期は0組とクラサメが顔を合わせて暫くしてから…のイメージ。
最後に出てきた本と精神と知性の反比例云々は捏造ですのであしからず。
零式はそこはかとなく和っぽいイメージもあるのでおにぎりとかもあると思うんだ。
2012/01/28