「………困ったわぁ」

 朱いマントを纏って彼女は一人呟いた。

 

 

その手を差し伸べるのは

 

 

 深い森の奥に一人の少女が座りこんでいる。

 薄暗い森の中でひときわ目立つ、朱のマント。

 彼女の周りの木々は幹が大きく抉られ削られたものや、酷いものは木そのものが折れて倒れている。

 その他にも皇国兵の武器、破壊され粉砕された皇国製の兵器のパーツが散らばっている。

 木にも兵器にも、黒く変色した血がこびりついていた。

 しかし激戦の様相を色濃く残す戦場の跡にいるのは、人の姿をした者は。

 朱の少女、一人だけだった。

「皆とはぐれちゃうなんて…」

 一人でいる事に何の疑問も感じる事はなく、少女は一人困ったように呟く。

 今回、朱を纏う0組に与えられた使命は朱雀と白虎の国境沿いの森に潜伏している皇国兵の殲滅だった。

 作戦そのものは大した事がない。そう高を括っていたのが拙かったのか。

 予想以上の物量で迎撃してきた皇国兵の猛攻を受け、同じ作戦に当たっていたメンバーと離れ離れになってしまったのだ。

「ファントマは回収できたから良いようなものだけど…」

 ファントマを抜き取った体は消滅する。

 抜き取られたときの衝撃に、肉体は付いていけずに崩壊するのだ。

 仲間と離れてしまった彼女は一人で追っ手を倒し、彼等のファントマを抜き取り、肉体を滅ぼした。

 しかし彼女にとってそれは、特別に思う事ではない。

 ファントマの回収は、彼女たちにとって重要な使命であり、大切な母のためであるのだから。

 まるで最初から一人で森の中にいたような空気を纏いながら少女は一人、耳に嵌っているCOMMの調整をする。

 先程からCOMMを通じて連絡をしようとしているのだが、繋がらない。

 クリスタルジャマーが発動されているのだろうか。

 どちらにせよジャマーの影響下でも魔法が使える身であるため、それを確認する術を持たず、少女はほうと重い溜息を吐いた。

「皆の事は覚えてるから皆生きてはいるのよね」

 しかし、連絡が付かなければ話にならない。

 体は当の昔に限界を超え、立ち上がる事さえ出来ずにいる。

 回復しようにも迎撃の時に魔力を使い果たしてしまい、魔法は使えない。

 ファントマを回収した際にいくばくかは魔力が回復しているが、ファントマの質を考えれば回復した魔力も雀の涙程度のものだ。

 暫くすれば、母の加護で体力は戻ってくるだろうが、まだ時間が掛かるだろう。

 少女はもう一度溜息を吐いた。

「困ったわぁ」

 限りなくゼロに近い可能性に賭けて、少女は辺りを見渡すが、鬱蒼とした森に人の気配は感じない。

 上を見上げても、陽の光を遮っている木々が黒々と見えるだけだ。

 暗い森の奥に座りこむ自分の姿。

 ふと、思い出した。

「そういえば…」

 少女は空を見上げたまま、苦笑を小さく浮かべた。

「小さい頃、似たような事があったわねぇ」

 

 

 小さな頃、まだ朱を纏うずっと昔の頃。

 世界はまだ、母と12人のきょうだいだけだった。

 母はとても優しく、時に厳しく、自分たちに愛情を持って育ててくれた。

 きょうだい達もそれぞれ個性豊かで賑やかで、鬱陶しいと思った事もあった。

 それでもずっと一緒にいて楽しかったし、何より愛しく大切だった。

 今もそれは変わっていない。

 母と12人のきょうだい。

 小さな小さな世界。

 それだけあれば十分幸せだった。

 しかし時々、少女は世界の外が気になってしょうがない時があった。

 母と12人のきょうだいだけではない世界は、どんな形をしているのだろう。

 どんな姿をして、どんな色をしているのだろう。

 外の世界にはなにがあるのか。気になって気になってしょうがなかった。

 しかし他のきょうだいはそうでもなく、外の世界に興味を示す自分を諌めたり呆れたように見ていた。

 どうして気にならないのだろうと思いつつも、世界の外の事を母に尋ねた事もあった。

 そのとき、母たる女性は困ったように笑い、

『仕方のない子ね。今は知らなくても良いのよ。いつか、解る時が来るわ』

 そう答えるだけで何も教えてはくれなかった。

 教えてくれない母、興味を示さないきょうだい達。

 共有できない気持ちはだんだんと膨れ上がって行き、外の世界を望む気持ちは終に少女に一つの行動を起こさせた。

 痺れを切らした少女はある時、家を出たのだ。

 誰にも何も言わずに。

 言ったらきっと止められる。

 だから、何も言わずに飛び出した。

 見つかったらきっと怒られるだろう。

 覚悟の上だ。どうしても、世界の外側を見たかったのだ。

 しかし、世界の外の冒険は僅か数分で頓挫する事となった。

 自分たちが住んでいた――外局と呼ばれる場所は周りが深い森に覆われている。

 まるで自分たちの姿を隠すように高く薄暗い森が少女の目の前に立ち憚り、視界と位置を奪った。

 半ば無計画で飛び出した少女は迷子になった。

 視界は木々に覆われ、自分がどこから来たのか、どこに行けば良いのか解らなくなった。

 自分で対処できない事態になったらその場から動いてはいけない。

 母の教えを思い出すのと同時に自分の無計画さに消沈し少女はその場に座りこんだ。

 どうして、自分の邪魔をするのだろう。

 母もきょうだいも、この森も。

 ただ、世界の外に行きたいだけなのに。

 立てた膝に顔を埋めて、少女は泣きそうな溜息を吐いた。

 

 

 そこまで思い出し、少女ははてと首を傾げた。

「あの後、どうやって帰って来たんだったかしら?」

 帰ってきた後は年の近いきょうだいに怒られ、年下のきょうだいに盛大に泣かれ。

 挙句の果てには母の特大の雷を食らった。

 怒られるのは覚悟していたし、自業自得だとは思っていたが、泣かれるとは思ってもみなかった。

 心配をかけさせるという自覚がなかった事を知り、幼い自分は安堵と悔しさで大泣きした。

 そこまでは覚えている。

 だが、どうやって帰って来たかは覚えていない。

「一人で自力で帰ってきた…じゃあないわよね」

 さて、どうだったか。

 そう頭を捻った瞬間、カサリと地面を踏む音が耳に入ってきた。

 瞬時に戦闘態勢を取り、音のした方へと視線を向け意識を集中させる。

 足音は段々と近付いてくる。

 気配を消しつつ相手の気配を探っているうちに、少女は段々と力が抜けて行くのを感じた。

 この気配は敵ではない。

 足音が人の姿になって視界に現れる頃には少女は肩の力を抜き、相手へと気の抜けた笑顔を浮かべていた。

「お迎えお疲れ様……キング」

 気の抜けた笑顔の先には、渋い表情を浮かべているキングが立っていた。

「何をやってるんだ…

 少女の名を呼びながら、キングは彼女へとに近付いて行った。

 の体はボロボロだった。

 朱のマントはところどころが焼け焦げて落ち、黒い制服も破れ赤く染まっている。

 彼女の足を守っている黒いストッキングも伝線し破れ、やはり血で赤く染まっていた。

 武器であるロッドは折れて敵の返り血で赤く染まり、もう使い物にはならないだろう。

 遠くから見た時に予測していた以上の惨状に、キングはますます顔を顰める。

 傷は自分たちの母たるアレシアの加護が働いているのだろう、一つもなかったのが不幸中の幸いと言うべきか。

「無理をしすぎだ」

 渋面を作るキングを見てはただ笑って答えた。

「無理じゃないわよ。現に傷一つ付いていないでしょう?」

 にこやかに微笑むを見て、キングは大きく溜息を吐いた。

「それはマザーのお陰だろう。帰ったらすぐに検査してもらえ」

 いくら傷が完治しているとは言え、肉体の全てが完治しているわけではない。

 魔力の尽き具合から見ても激戦を潜り抜けて来たのは明白。

 アレシアに診てもらった方が良い。

 そう考え、発言するキングに対し、

「大丈夫よ」

 はそんなに大事にするような事ではないとでも言うように首を横に振った。

 しかし、キングも負けてはいない。

「お前の大丈夫はオレたちの中で一番アテにならん」

 の言葉に鋭く切り込んだ。

 事実、彼女の『大丈夫』は他のきょうだいの誰よりも当てにはならないのを、キングは知っていた。

 キングの鋭い言葉と視線には目を丸めると、

「まあ、酷い」

 言葉とは裏腹にクスクスと口に手を当てて笑った。

 心配するキングがおかしくて笑っているのか。

 それとも心配されている自身がおかしくて笑っているのか。

 彼女の心内はいつだって読み辛い。

 それでもキングはに手を差し伸べた。

 差し伸べられた手を見て、は笑い声を止めてキングを見上げた。

 彼の視線は真っ直ぐにに向かっている。

「帰るぞ」

 を見たまま、キングはそう告げる。

 差し伸ばされた手とキングの顔を交互に見て、は手を伸ばし差し出された手を掴んだ。

「私、あんまり歩けないんだけど?」

 キングの手を掴んだ状態で、は自らの状況を簡潔に伝える。

 アレシアの加護で立ち上がれるほどの体力は戻ってきているが、それでも歩くには十分と言えない。

 の言葉にキングは一瞬顔を顰めたが、すぐに口を開いた。

「引っ張ってやる。合流地点までなんとか踏ん張れ」

 キングの言葉にはきょとんとした表情を浮かべたが、

「しょうがないわねぇ。頑張りますか」

 気の抜けた笑みを見せて頷いた。

 が頷いたのを見て、キングは掴んでいる手を引き上げる。

 引き上げる勢いに乗り、は立ち上がった。

 立ち上がった瞬間の体はふらつき、キングはピクリと小さく体を弾ませた。

 が、はすぐに体勢を立て直し、すぐに彼女を支えられるよう体を反射させたキングに大丈夫だと笑いかけた。

「大丈夫よ。心配性ね」

「誰のせいだ」

「さあ?」

 飄々と答えるにもう一度盛大な溜息を贈ると、キングは背を向けた。

「………行くぞ」

「はいはい」

 

 

 キングに手を引かれ、は森を歩く。

 戦闘の影響か鳥の声も聞こえない静寂の中、

「デュースとレムが心配していた」

 キングが声を発した。

 静寂の中での声には驚いてビクリと掴んでいる手を震わせる。

 しかし震わせた手には何も言わず、キングは顔を少し動かし、に視線を向けた。

「聞いたぞ。二人を逃がすために盾になったんだってな」

「違うわよ。結果的にそうなっただけ」

 キングの言葉にすぐさまは否定を示した。

 敵の量が多く、魔法を主とするデュースとレムは限界が近づいて来ていたのだ。

 二人とも果敢に武器を駆使して戦っていたが、このままでは全員力尽きてしまう。

 そこで、は二人を逃がす事にした。

 全滅するよりも、一人でも多く帰還させる方が賢明であると判断したためだ。

 今ならば、レムの魔力とデュースのサポートで無事に本隊に戻れる筈だと確信し、二人よりも体力があるが二人が戦線を離脱出来るまでの時間を稼ぐ事にしただけだ。

 ある程度稼いだら自分も二人の後を追い合流するつもりだった。

 決して、囮になるつもりも盾になるつもりもなかった。

 しかし、予想以上の猛攻に手間取り最終的には死なないようにするのが精一杯になってしまった。

 それだけだ。

「私が力不足だったってだけよ。別に自己犠牲とか、そう言う精神じゃあないわ」

「だろうな。だが…」

「解ってるわよ。合流したら二人に謝っておかなくちゃ」

 キングの言いたい事を察知しは言葉で頷いていた。

 心配を掛けさせてしまったとあっては、気分が悪い。

 なにより、心優しい二人である。

「二人の説教は覚悟しておけ」

「………解ってるわよぉ」

 きょうだいであるデュースの性格を熟知し、仲間であるレムの性格を理解しているキングからが予想した未来を言い当てられ、は小さく頬を膨らませた。

 優しいが故にきっと盛大に怒られるだろう。

 怒鳴ったりはしないが心配そうに怒る二人の表情を脳裏に浮かべて、は改めて自分の手を引くキングを見つめた。

 大きな背中だ。

 使用している武器の関係か、肉付きはナインやジャックの方に分があるが、それでもきょうだいで一番大きいキングの背中もやはり迫力がある。

 暗い森の中でかすかに光る金髪と背中。

 引かれる手の暖かさと強さ。

 の脳裏から水が沸き出すように記憶が溢れ出てきた。

「………ああ、そっか」

 そうだった。

 思い出した記憶を噛み締め、はクスクスと声を立てて笑い出す。

 急に笑い出したの声を聞き、キングは少し驚いて彼女へと振り返った。

「いきなり笑い出すな、驚くだろう」

 キングの視線を受けては笑いながら小さく頷いた。

「ごめん」

 の笑顔の理由が解らず、キングは訝しげな表情を一瞥してから顔を前に戻す。

 暫くの小さな笑い声が森に木霊していたが、

「……ねえキング」

 笑い声は小さくなり、代わりにキングの名が呼ばれた。

「なんだ?」

 名を呼ばれつつも振り返ることなくキングはの手を引き足を進める。

 その姿を見て、はますます笑みを深めた。

「昔、こんなことがあったなぁって思わない?」

「昔?」

 何の事だろうか。

 の言葉にキングは首を傾げたが、自分が繋いでいる彼女の手の暖かさを今更ながらに感じ、その暖かさに引き上げられるかのようにキングは昔を思い出していた。

 

 

 がいなくなった。

 その知らせはすぐさま母を初めとしたきょうだいたちに知れ渡ることとなり、動揺が広がった。

 年下のきょうだいたちは不安がり、母はその不安を宥めるとと同い年であるキングとセブンを連れてを捜しに出たのだ。

 外局を守るように広がる森は広大で、母は連絡手段をセブンとキングに持たせてから3人で手分けして捜す事になった。

 森は鬱蒼と暗く、1人になったキングは不安になった。

 だからこそ、迷子になったを捜さなくてはと言う気持ちも強くなった。

 急ぐ気持ちを抑えながら、森を進んで行くと、誰かがすすり泣く声が聞こえてきてキングは一目散に声の方へと走り出した。

 そして。

 

 

「ああ」

 キングはあの時の事を思い出し、小さく笑った。

「お前が外局を飛び出した時か」

「そうそう」

 昔を思い出しているのか、の声は弾んでいる。

「あのとき、キングが見つけてくれたのよね。で、こういう風に手を繋いで一緒に帰って来たの」

 

 

 膝を抱えて泣くのを我慢していたは森の奥から出てきたキングの姿を見て、思わず泣きそうになったがなんとか耐えた。

 自分が悪いと言うのに泣くのはどうかと、幼心にも思ったからだ。

 キングは座り込んでいたに向かって手を差し伸べ、はその手を取った。

 キングの手を握っては無事に家族の元へと帰る事が出来たのだ。

 

 

「あの後盛大に怒られてたな」

 マザーのあんなに怒った顔を見たのは初めてだった。

 その光景を思い出しているのか笑い声を含みながら呟くキングには苦笑いを浮かべた。

「そうね。あんなにマザーを怒らせたのは、後にも先にも私しかいなかったものね」

 他のきょうだいたちはなんだかんだでマザーの傍を離れなかったし、きちんと良い子にしていたから。

「好奇心が旺盛なのも困りものだな」

「皆が内向的過ぎるのよ」

 朱のマントを纏うようになって、はようやく望んだ世界へと行く事が出来た。

 世界の外はの予想を大いに超越し、全てがの目を通してとても輝いて見えた。

 例えその大半が血に濡れた戦場であったとしても。

「まさかまた、キングが迎えに来てるれるなんてねぇ」

 昔はキングの方が背が小さく、の手を握り引く手も小さかった。

 しかし、今は違う。

 いつの間にかキングの背はを追い越し、握り引く手も今や彼の方が大きくなっている。

 包まれる様に握られている手の暖かさも昔とは違うように感じるが、それでも暖かい。

「ふふっ」

 はギュッと先程よりも強くキングの手を握って笑う。

 急に握られた手が強くなり、キングは驚いたが次に楽しそうに笑うの声が聞こえてきて、表情を和らげた。

 あの時のちいさなはなんとか泣くのを耐えて俯いて歩いていた。

 小さなキングもに対して何を言えば良いのか解らず、黙っての手を引いていた。

 今もそれは変わらない。

 しかし、昔を再現しているかのような今の光景は全く違う。

 はボロボロになりながらも笑っているし、キングも昔と変わらず口数は少ないが、それでも笑っている。

 全てが同じのようで同じではない。

 

 

ただひとつ、差し伸べられた手の暖かさを除いて。

 

 

 

Fin

 

 

 

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あとがき

0組候補生ヒロインが浮かんで来たので書いてみたよ!

戦場に取り残されて、一人ボーッとしている朱の候補生を迎えに来るキング。

ボロボロなので手を掴んで歩いて帰る姿に昔、迷子になった記憶を思い出すと言う具合です。

脳内で最初に彼女を迎えに来たのがキングだったので、そのままキングに。

なんとなく、こういうシーンはキングが合う気がします。

設定資料集で外局の設定があるかと思っていたらなかったので外局周辺の様子は捏造です。

でもなんか森の囲まれてるイメージ。

2012/02/29