太陽が魔導院を照らし始めた頃、は一人歩いていた。

 朝の魔導院には人の影はなく、静かな空気で満たされている。

 水の月の空気の冷たさを感じながら、は目の前に映る闘技場へと足を運んでいた。

 彼女の手には、一輪の花が咲いている。

 

 

蕾の頃

 

 

 が手にしている花はこの間の休日、街に出た時に買った花だ。

 花の日が近いと言う事もあり、街中の花屋が活気に溢れていた。

 その中で、珍しい花をは見つけた。

 白い花。

 しかし、その花びらはとても薄く、花びらの向こうが透けて見えるほどの厚さ。

 白いと言うよりは透明な感じにも見えて、が目を丸くして花を凝視していると花屋の店主が声を掛けてきた。

 店主が言うには、この花はとても希少なもので市場に出回る事は珍しいと言う話だった。

 偶然、二輪だけ入荷する事が出来たと喜んでいる店主はもうひとつ、この花の秘密を教えてくれた。

 なんでもこの花は、朝日に透かして見ると七色に見えると言うのだ。

 花にあるまじき話を聞き、は耳を疑った。

 花は鉱物ではない。光に当てて七色に見えると言うのはありえない。

 普通ならば、怪訝な表情一つも浮かべるものなのだが、しかしは薄い花弁から目が離せなかった。

 好奇心がの胸をざわめかせる。

 初めて見る花。

 陽に透かせば七色に見えると言う珍しい花。

 真偽は解らないが、解らないからこそ知りたいと言う気持ちが沸き上がってくる。

 それにもし、七色に光るのが本当ならば。

 の脳裏に親しい友人たちの姿が映る。

 彼等にも見せてみたい。

 一人は絶対に花の仕組みに興味を持つ筈だ。

 彼等の驚き、楽しそうに笑う顔を思い浮かべて、は無理を承知で店主に花の値段を聞いていた。

 

 

「どういう風になるのかなぁ」

 の手の中には薄い花弁の花が咲いている。

 駄目もとで聞いてみると、店主は実にあっさりとに花を売ってくれたのだ。

 自分の話を信じて、買ってくれる人を待っていたと言う。

 店主の話を思い出しながらは花を見つめる。

「触ったら思ったよりも花びらが硬いんだよね、薄いから柔らかいと思ってたのに…」

 の手の中に納まった花はゆらゆらと、彼女の言葉を受けて薄い花弁を揺らしていた。

「透明に見えるくらいの薄さと硬さの影響で、太陽の光を当てると七色に見えるのかな?」

 花を見ながらつらつらとそんな事を考えていると、

 自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 聞き慣れはじめた声に驚いては後ろを振り返ると。

 そこには友人の一人が自分と同じように驚いた表情を浮かべて立っていた。

「クラサメ」

 は彼の姿を目に入れながら瞼を二、三回瞬かせると、にこりと笑った。

「おはよう、早いね」

 のいつもと変わらぬ笑顔を見て、クラサメもようやく我を取り戻したようでに声を掛ける。

「ああ、おはよう。も早いな。どうした?」

「ちょっと闘技場にね。クラサメも?」

「まあな」

 薄く笑うクラサメを見て相変わらず真面目だとが思っていると、ふと彼の手が視線に入った。

 そして、クラサメの手を見た瞬間、

「クラサメ、それ…」

 は目を丸めた。

 クラサメの手には一輪の花が咲いていた。

 見間違いでなければ、彼が持つ花は…。

「ああ、これか?」

 の驚いた顔を見て何かを察したのか、クラサメは花をの方へと向けた。

 向こう側が透けて見えそうな薄い花弁。

 透明に見える、白い花。

 間違いない。

 は先程よりも強く花を握った。

 

「この間の休みに遠出した先の街で見つけたんだ。珍しい花だったからお前たちに見せたくて…? どうした?」

 花の事を話すクラサメはの様子がおかしい事に気付き、言葉を止めた。

 彼女の表情は一言で言うなら、驚愕。

 クラサメは内心で首を傾げた。

 どうしてどんなに驚いているのだろう。

 そう考えながら、クラサメはの手に何かが握られているのを見た。

 まさか。

 少しずつ鼓動が早くなるのを感じつつクラサメはの手の中にある物をしっかりと見た。

 向こう側が透けて見えそうな薄い花弁。

 透明に見える、白い花。

 あの花は。

、それ…」

 クラサメの言葉を聞き、は目をこれでもかと大きく見開いていた。

 驚きで、クラサメも言葉が出せなくなった。

 言葉が途切れて、二人の間に沈黙が落ちてくる。

 暫く二人は声を出せなかったが、

「こういうことって…」

 が沈黙に言葉を放った。

 ぽぉんと響くような言葉を放ったの表情は先程の驚きの表情から一転して、

「あるんだね〜…ビックリした!」

 笑っていた。

 心底おかしそうに笑うを見て、クラサメの驚きに硬直していた心が動き出す。

「全く…俺も驚いた。どこで買ったんだ?」

「アグヴィ。ちょっと買い物したくてさ。そのときに」

「俺はイスカだった。…本当に凄い偶然だな」

「ね! 全然違う街で買ったのが同じ花とか!!」

 からからと声を立てて笑う

 彼女と出会って暫く経つが、本当に良く笑う少女だと思う。

 とても楽しげに、笑みを絶やさない友人は自分の中にある笑顔を引き出してくれる。

 クラサメはそんなを見て自分も笑みを浮かべた瞬間、ある事を思いついた。

「ん?」

 名前を呼ばれ、は笑う声を止めてクラサメを見る。

 なんだと小首を傾げるを見て、クラサメは花をに差し出した。

「貰ってくれないか?」

 クラサメの言葉には目を瞬かせた。

「………えっと?」

 首を傾げたまま眉を顰め現状を整理するべく頭を回転させようとするへクラサメは気持ちを言葉にする。

「今日は花の日だろ」

「うん」

 反射的に答えを返すがおかしくてクラサメは笑みを深めた。

「この花を陽に透かせた後、お前かエミナかカヅサの誰かに贈ろうと思ってたんだ」

 クラサメが一番の友人の名前を口に出す。

 それを聞いては段々クラサメが何をしたいのかが解ってきた。

「…私で良いの?」

 傾けていた首を戻してはクラサメの顔を見上げる。

「ああ。一番最初に会ったヤツに贈ろうと思ってたからな」

「そっか…」

 は暫く思考を回転させて、そのうちに頷いた。

「私もね、花が七色に見えるかどうかやった後で、皆で見ようと思ってたんだ」

 そう言うの表情はとても柔らかい。

「でね、皆で見たあとにこの花が欲しい人に贈ろうって思ってたの。だから……その…えーっと」

 は花を持っていない方の指で頬を掻く。

 何故だか急に照れくさくなったのだ。

 ちらりとクラサメを見ると、彼の目はとても穏やかに凪いでいる。

 出会って暫く経つが、こう言う表情も出来るのか。

 クラサメの初めて見る表情に勇気付けられ、差し出されているクラサメの花の前に自分の花を差し出す。

「貰ってくれる?」

 同じ花だけど。

 照れくさそうに苦笑いを浮かべるの頬はうっすらと朱が注していた。

 クラサメはそんなの表情に釣られるように少し顔を赤くしつつも頷いて答えた。

「もちろん」

 

 互いに差し出された花を互いに受け取る二人。

「ひゃー、なんか緊張しちゃった」

 クラサメから貰い受けた花を両手で包みこむように持ち、花を見るの頬は、真っ赤になっていた。

「そんなに緊張することか?」

 から貰い受けた花を片手で優しく持つクラサメは首を傾げた。

 彼の頬は未だに少し赤い。

「するよー。初めてだもん、花の日に友達とは言え男子に花渡して、贈ってもらったの」

 に言葉に、クラサメは固まった。

 今、彼女は何と言ったのか。

「……初めて?」

「うん。女子の友達には贈った事とかあるんだけど、お菓子とかだったし…」

 クラサメの放った言葉はとても硬かったが、は気付けなかった。

 それだけ、動揺しているのだ。

「家族以外で花を贈ったり貰ったりしたの、初めてなんだよ」

 だから緊張しちゃって。

 決まり悪そうに笑うの表情をクラサメは見ているようで見ていなかった。

 ここに来て、クラサメもとある事を思い出し、カッと顔が熱くなったのだ。

「俺も…初めてだ」

「……え?」

 呟くようなクラサメの言葉を聴いて、は顔を上げると目を大きくした。

「女子に花渡したの、初めてだ」

 クラサメの顔が、赤くなって俯いていた。

「………うわぁ」

 思いも寄らぬクラサメの表情と告白を聞いて、が出せた言葉は、それしかなかった。

 情けないが人間、本当に驚いた時は明確な言葉など出ないものだ。

 は再び花を見つめる事しか出来なくなった。

 照れくさい。

 これは、照れくさい。

 奇しくも同じ事を考えた二人は言葉を発する事が出来なくなった。

 同じ花を持っていた時の沈黙とはまた違う種類の沈黙が二人を包む。

 しかし、いつまでもこんな事はしていられない。

 もうじき、朝日が闘技場を照らし出す。

 が意を決して口を開こうとした瞬間。

「友達で、こんなに緊張するなら…」

 クラサメの声が聞こえてきた。

 が顔を上げると、

「恋人同士はもっと大変だな」

 クラサメが困ったように笑っていた。

 その表情を見て、もゆっくりと表情を変えた。

「ホントだね」

 クラサメと似た、困ったような笑顔に。

 

 

 気恥ずかしい雰囲気をなんとか払拭いて、クラサメとは肩を並べて闘技場へと歩み始めた。

「そういえば、クラサメはどうして闘技場に来たの?」

 歩きながらクラサメの方を見て首を傾げるをクラサメも見て答える。

「お前と同じだと思うぞ。花が七色に見えるかどうかを見たかったんだ」

「あ、やっぱり」

 魔導院の位置的に一番最初に朝日が見えるのは飛空艇の発着場だが、飛空艇が影になっている。

 噴水広場でも良いが、誰もいない広場でと考えるとどうにも気が逸れる。

 テラスは、まだ院そのものが開いていないので入る事が出来ない。

 闘技場なら影になるところが少ないし、何よりこの時間に鍛錬に来る者はいない。

 担当の武官はいるだろうが、入り口から離れてしまえば大丈夫だ。

 それになにより、

「花を見たあとで鍛錬も出来るしね」

「そういうこと」

 申し合わせたわけでもないのに、二人が闘技場を選んだのは、こういう理由があったからだ。

 二人はお互いから視線を離し、目前の闘技場へと目を向けた。

「でもまさか、クラサメが来るとは思わなかったなぁ」

「俺もそう思った」

「しかも花贈ってもらっちゃったし」

「言うな」

「あ! 良く良く考えるとさ、お互い花贈ったのも初めてだけど、お互い一番最初に花渡したって事にもなるよね! 一番乗り!」

「……言うな、頼むから」

「えへへ、ごめんごめん」

 クラサメの硬くなった声と、の照れ隠しの軽い声が響く。

 二人は、互いに気付かれぬよう贈られた花を見た。

 贈られる前に持っていたものと同じ花。

 しかし、どこか違う花。

 この花は本当に七色の輝くのだろうか。

 もしそれが偽りでも、大切にしたい。

 そう思った。

 

 

 

「ねえクラサメ」

「なんだ?」

「せっかくだし、花見終わったら手合わせしてよ」

「そうだな、受けて立つ」

「この間は負けちゃったけど、今日はそう簡単には負けないからね」

「俺も本気でいかせてもらう」

「言ったな。私のラケット捌き特訓の成果、見せてあげるから」

「期待してる」

 

 

 

 

Fin

 

 

 

Back


あとがき

候補生(訓練生?)時代のクラサメと司書の花の日の話でした。

二人の初めての花の日。

…二月中ならバレンタインだって、SNSのサイトが言ってた(オイ)

花の日本編でお互い毎年一番乗りとか同じ花とか言っていたので、それを考えてたら出来た話です。

あと、ガンガン零式漫画でクラサメの候補生時代の話が出てくる前にやってしまおうと言う寸法(爆)

 

候補生か訓練生かをハッキリ書かなかったのは、二人が出会ってから最初の花の日にしようと考えた時、

『この二人(クラサメ)はいつ候補生になったのか』

が解らなかったせいです。

訓練生は厳しい試験や実技をクリアして候補生になりますが、そのタイミングはいつなのか。

年に一度の昇進試験があるのか、それとも院長他上層部が認めたらなるのかとか考えたらワケが解らなくなったので曖昧にさせていただきました。

クラサメは天才だったみたいなのでおそらく院に入って一年以内で候補生になったのかなぁ。

ちなみにサラッと書いてありますが司書の武器はラケットです。

FF9で使われていたあのラケットを思い起こしていただければ良いかと思います。

 

 

2012/02/21