膝を突き頭を下げる勇者の前には、光り輝く女神の姿がある。
彼はいつも女神の傍にいる。
良く見る光景だ。
彼は下げていた頭を上げると、女神を見つめる。
視線が合った瞬間、女神の表情が柔らかくなり、彼もまた目元を緩めたような気がした。
女神を見つめる彼の視線は真っ直ぐで揺らがない。
真っ直ぐな彼の視線を受けて、女神は今度こそ微笑んだ。
何から何までいつもの光景だと言うのに。
は自分の胸の奥から何かが沸き上がってくるのを止める事は出来なかった。
やきもちやき
混沌の力に押し寄せられている世界の中で秩序の力で守られている地域。
秩序の戦士たちはそこで休息を取っていた。
はあ。
白い甲冑を外し小さく息を吐いたセシルの耳に小さい溜息が聞こえてくる。
何事かとセシルが視線を変えるとその先にの姿があった。
一見いつもと変わらぬように見えているが、どうにも様子がおかしい。
準備や調整やらで動き回っているが時折、何かを思い出したかのように立ち止まり。
はあ。
深い溜息を吐いていた。
まるで胸の中から何かを吐いて捨てるようなその姿を見て、セシルはマントを片手に立ち上がった。
「」
声を掛けられ、は知らずのうちに下げていた顔を上げて声の方を振り向く。
セシルがこちらに向かって歩いてきていた。
の目の前までセシルがやってくると、
「セシル、どうしたの?」
なにかあった?
そう聞いてくる彼女は先ほどの溜息など知らぬと言うようにいつもの笑顔だ。
大切な仲間を思いやる優しい笑顔。
だからこそ、その陰にあるモノが余計に強く感じられるのだと、彼女は気付いているだろうか。
「何かあったのかい?」
の問いかけにはあえて答えず、セシル直球でに言葉をぶつけた。
途端に、の表情が少し変わる。
かすかに目を見張り、次に言う言葉を急いで探すような、そんな表情に。
「………何にも無いけど?」
「答えるまでに間が空いてるよ」
「ぅ………」
なんでもないと返してすぐに否と切り替えして来たセシルに、は内心冷や汗を掻く。
(セシル、そこは普通スルーしてくれるところじゃないの?)
仲間たちはなんだかんだで勘が良い。
だけではなく他の仲間の変調もすぐに気付いてくれる。
しかし、なんでもないと言えば、早々強くも出てこないのだ。
心配そうな顔や気遣わしげな顔をしつつそれでもそうかと引き下がってくれる。
それがとても申し訳ないと思うと同時にありがたいとも思っているのだ。
それなのに。
「、本当に何もないのかい?」
セシルだけがこうやって近付いて話しかけてくる。
もちろん、彼も無理矢理は入りこんでくるわけではない。
きちんと、距離を計ってくる。
(それが、余計に厄介なのよねぇ)
無理矢理にでも入り込んで着たら叩き出せば良いだけの事だ。誰も文句は言わない。
しかし、セシルのように良い距離感を保っていられると厄介だ。
逃げ道が塞がれている上に、入って来ないから叩き出すことも出来ない。
本人の口から言わせようとしているのが解る。
(それが嫌だからなんでもないって言う風にしてるのに…)
胸の中に溜まっているモノは未だに の中に燻り続けている。
それは重く、渦巻いているのにとても濁っている。
吐き出そうとして出るのは溜息だけで、もし言葉を伴って出したとしたら、本人はともかく聞いている相手も良い気はしないだろう。
セシルはの内心を理解しているのか、いないのか。
小さく首を傾けてにこりと笑った。
言ってくれても、甘えても良いのだと。そういう笑顔だ。
こう言う笑顔にはめっぽう弱い。
と言うよりも、はセシルに対して弱い面がある。
(ついつい甘えちゃうのよねぇ。一緒にいて安心出来ると言うかホッとすると言うか)
『この世界では無い幻想の物語』で一番最初に出会ったのがセシルだからなのか、付き合いの長さはセシル本人の意思を除けばおそらく一番長いだろう。
そう言う安堵感も、もしかしたら甘えたくなる原因なのかもしれない。
(あと、微妙にお兄ちゃんオーラだしてるのもいけないと思うのよね)
弟じゃないのか。
そう思いつつ本来の世界でのセシルは中々どうして、『お兄ちゃん』が堂に入っていたのもあるのだろう。
それを『知っている』からこそ余計に甘えたくなるのかもしれない。
(私はみんなのサポートをする役割なのに、私が支えられてどうするんだろう)
きっとそんな事はセシル以外の仲間たちも気にするなと言ってくれるのだろうが、それもなんとなく凹む気がする。
しかし。
甘えても良いのだと、全身で伝えてくれるセシルの笑顔を見て、は心の中で苦笑を浮かべた。
(まあ、時々なら良いのよね)
とて強くは無い。だからこそ、時々は誰かにより掛かりたくなる。
セシルはそんなの気持ちを素直に受け入れされてくれる存在なのだ。
(ホント、なんでセシルなのかしらねぇ)
他のメンバーではなかなか甘えられないのに、やはりセシルの雰囲気がそうさせてくれるのだろうか。
「セシル」
「ん?」
ようやくが声を出すと、セシルは笑みを深めた。
大丈夫と言ってくれている笑顔には苦笑を浮かべる事で答えて、こう言った。
「ちょっと疲れちゃったから、寄り掛かって良い?」
甘えたいと言うの合図をセシルはきちんと受け取り、嬉しくなって顔を綻ばせた。
「もちろんだよ」
はセシルの肩に寄りかかる。
普段は甲冑によって遮られているセシルの体温がの髪や頬に伝わる。
お互い、暫くなにも言わずにゆったりとした時間を過ごしていたが。
「セシル」
「なんだい?」
肩から声が聞こえてくる。
「これから言うの、独り言だからね。他言無用だから」
(…それはつまり)
が気持ちを露呈すると言うことだ。
セシルは小さく笑って頷いた。
「解った」
セシルの言葉が放たれてから、また暫く沈黙が続く。
そして。
「きちんと…」
ぽつん。
は空を見上げた。
「きちんと頭では解ってるの。ウォーリアにとってコスモスは何者にも変えがたい存在だって」
記憶を無くし秩序と混沌の世界に召喚された勇者。
自分の名すら解らぬ彼にとって、彼を召喚した女神はまさしく彼の存在を根底から支えているのだ。
使命も、生きる理由も、存在の意味も。
勇者に与え伝えた女神。
彼女こそが彼の全てであり、女神なくして勇者は存在はなかった。
「でも、真っ直ぐにコスモスを見るウォーリアを見てるとなんか嫌な気分になる」
勇者は女神を他の仲間とは違う感情で見ている。
それは崇拝であり、敬愛であり、子が母を求めているようでもあり。おそらく慕情とは違う。
そして女神もまた、勇者をとても愛しく見つめているのを、は知っている。
を含め、女神は全てに優しいが、それでも勇者に向けるものには特別な何かを感じるのだ。
……慕情であって欲しくないとは願っている。
空を見上げていたは顔を伏せると目を閉じた。
「嫉妬なんだよね。ウォーリアに特別に思われてるコスモスが羨ましいって。自分から何もしてないのに、そういうの見て勝手に腹立って嫉妬して…」
彼の女神に向ける視線が自分の方へ向いたとしても、その視線を受け止める勇気もないくせに。
「コスモスもウォーリアも悪くないのに、一人勝手にぐるぐる回ってる自分に自己嫌悪」
まさか自分が恋愛漫画の主人公の気分を味わう事になるとは思わなかった。
好きな人と違う誰かの仲睦ましさに一人勝手な想像してグルグル悩んでいた彼女たちを馬鹿だと思っていたと言うのに。
気になるなら聴けば良いのだ、それなのに。そう思っていたのに。
彼女たちは、それを聞く事で自分の気持ちがばれてしまうのを恐れたのだろう。
今のが、そうであるように。
「ホントにダメだなぁ」
こんなのは自分らしくない、は痛感している。
しかし、立ち向かっていけるほどの勇気は、まだ無い。
「もっと、強くならなくちゃ」
仲間たちと共に戦場を駆け抜け戦うように、自分の中に巣食うモノに立ち向かっていけるようにならなければ。
「これじゃあきっと、自分も大切なモノも支えられない」
頑張らないとね。
そう呟くの言葉をセシルは聞いている。
「」
の名前を呼ぶが彼女からの応えは無い。
「?」
どうしたのか。
の方を向くと、彼女はセシルの肩により掛かり眠っていた。
穏やかな寝顔にセシルは表情を和らげた。
吐き出せるだけ吐き出して、少しだけでも彼女の心が落ち着けば良い。
「なんでもかんでも、自分が強くあろうと言う必要は無いんだよ、」
一人で立ち上がり進んで行こうと言うその姿はとても尊いものであり、そう願うはとても愛しく思う。
だが、一人では進めない時もあるのだ。
は支える立場だが、彼女とて支えが無くては生きてはいけない存在なのだ。
だから、頼れるときは頼って欲しい。
「自己嫌悪に陥る必要は無いんだよ、誰だってそう言うモノを抱えて生きている」
セシルの呟きは、小さく世界に溶けて行った。
ウォーリアはその光景を見つけて、目を丸めた。
セシルがに膝枕をしているのだ。
ウォーリアは足早にそちらへ向かって歩き出していた。
の体はセシルのマントだろう大きな布でくるまわれている。
セシルがの頭をゆっくりとした動きで撫でているのを見てウォーリアの足の動きは先ほどよりも早くなった。
「セシル」
セシルとに近づくとウォーリアはを起こさぬように小さくセシルの名を呼んだ。
ウォーリアの気配を察知していたのだろう。
セシルは撫でていた手を止めて驚くことなくウォーリアを見上げた。
「ウォーリア、どうしたんだい?」
にこやかな表情と同じ声色で問いかけてくるセシルを見てから、ウォーリアはの方へと視線を向けた。
無言でを見つめるウォーリアの目は彼女への心配と、かすかな理不尽さを見せていた。
前者はともかく、後者の理不尽さの意味をセシルは理解してウォーリアに解らぬように小さく笑い、声を出した。
「疲れてたみたいだったからね。これで少しは元気になると良いんだけど」
セシルの口調は変わらず穏やかである。
マントで口元が隠れて見えないが、それでもとても穏やかな表情で眠っていると、眠っているの頭を撫でるセシル。
彼らを見て、ウォーリアは胸の部分が靄がかって事に気付いた。
とても重くて濁っている。
色で表すとしたら黒い、なにか。
「は…」
「ウォーリア?」
ウォーリアは慎重に言葉を選ぶ。
胸に溜まっている靄を心のままに吐き出したら、おそらく誰かを傷付けてしまいそうな不安があったからだ。
「は、君に良く懐いているな」
しかし、出てきた言葉は微かに棘をはらんでいるように感じ、ウォーリアはそれだけ言うと口を閉じてしまった。
固く刺々しいウォーリアの言葉にセシルは先ほどよりも表情を綻ばせ、嬉しそうに頷いた。
「うん。そうだね」
「嬉しそうだな」
満面のセシルの笑顔に思わず声を出してしまった。
はやり、どこか棘があるような口調になってしまったにもかかわらず、セシルの表情は崩れない。
「当たり前じゃないか。は僕にとって妹みたいなものだからね。
他の人が懐いてくれているように見えているなら、それは本当にが僕に気を許してくれているって証拠にもなるだろう」
にこりと笑うセシルの言葉にウォーリアは一瞬逡巡するような仕草を見せた後、口を開いた。
「妹…」
「うん、妹」
断言するセシルの表情は朗らかで、他意を感じさせない。
「……そうか」
セシルの言葉にウォーリアは表情を和らげた。
彼が浮かべた表情の中に安堵が混じっていることをセシルは見抜いていた。
(……やれやれ)
セシルはひとり心の中でごちてから、自分の膝で眠っている『妹』を見つめた。
彼女は未だ夢の中にいて、騎士と勇者の会話なんて聞こえてもいないだろう。
健やかに寝息を立てるを見てセシルはもう一度ウォーリアをかすめ見る。
ウォーリアがを見つめる表情はいつもよりも柔らかく優しい。
愛し慈しむ者の目だ。
(似たもの同士だね、君たちは)
二人の気持ちを唯一知っているセシルは小さく苦笑を浮かべた。
Fin
あとがき
コスモスとウォーリアを見てやきもちを焼く先達とそれを見守り支えるセシルと言うお話。
先達が唯一甘えられるのがセシルです。
他のメンバーだとちょっと遠慮したり自分が守らないと、と言う感じになってしまう先達ですがセシルの前でそれもなかなかできない感じです。
セシルの角度(笑顔付き)でどうしたのと聞かれたら無言は貫けないですしね(笑)
無自覚ですが、ウォーリアは先達のこと好きですよ。
だから、膝枕しているセシルに嫉妬しています。
そして膝枕されている先達を見て理不尽な表情をウォーリアが浮かべたのは、
「なぜ自分ではなくセシルなのか」
と言う気持ちの表れです。
でもまだまだ無自覚。
解る人には解るけどまだまだ無自覚。と言った感じです。
セシルは解る人なのでそんな相互片思いの二人を見てやれやれと思いつつも見守っているという感じです。
2011/06/24