「あまり遠くへ行っては駄目よ?」

 母の声を背中で受けつつ、セオドアは走り出していた。

 久しぶりのバロンの城下町。

 町の人々が手を振ってくれるのを見て、セオドアも手を振り返す。

 王子と言う身分でありながらセオドアはこうして町を良く出歩いていた。

 護衛が付くときもあれば、母や父と共に城下に降り両親の許可を貰って1人でのんびりと歩く事もある。

 こういうことができるのも、バロンの国が平和である証拠なのだと、幼いながらもセオドアは解っていた。

 そして、それを守っているのが国王である父と、父を支える母なのだと。

 二人が民を思い尽力しているからこそ、今のバロンがあり人々は笑顔でいるのだと。

 セオドアもいつか、父のような立派な騎士に王になりたいと思っていた。

 

「今日はどこへ行こう?」

 町を歩きながら、セオドアは考える。

 シドが久しぶりに家へと戻っているそうだから、飛空艇の話を聞くのも良いかもしれない。

 それとも、市場へ行って色々見て回るのも楽しいかもしれない。

 いろいろ思いをめぐらせていたため、反応が少し遅れてしまった。

 何も考えずに角を曲がり、気付いたときには目の前が暗くなろうとしていたのだ。

「うわ!」

「おっと!」

 反射的にセオドアが立ち止まった瞬間、相手も立ち止まり半歩後ろに下がった。

 何とか衝突は防ぐ事が出来たがもう少し反応が遅ければぶつかっていたかもしれない。

「ごめんなさい! ボーっとしていて!」

 セオドアは目の前の人に頭を下げる。

 頭を下げた視界に、目の前の人が来ているのだろうローブが映った。

 黒のローブ。

 しかし、真黒とは言いがたい不思議な黒。

 不思議な色合いの黒を見て、セオドアは夜を思い出した。

 暗くも穏やかな、月が昇る夜を。

 夜の色だ、セオドアがそう思っていると。

「こっちこそ、ごめんね」

 頭の上から声がかかってきた。

 女性の声だ。セオドアが頭を上げると、夜のローブを纏った一人の女性が困ったような顔をしてセオドアを見ていた。

「本当にごめんなさい」

 困った表情をしている女性を見てセオドアは申し訳なくなり、もう一度謝れば女性はかぶりを振った。

「気にしないで。でも、今度からは気を付けなくちゃ駄目よ…って私もか」

 苦笑を浮かべて女性は頭を下げた。

「私もぼんやりしてたから気付けなかったわ。ごめんなさい」

「そんな! 僕の方こそ…」

 再びセオドアが謝ろうとしたとき、頭を上げた女性を目が合う。

 一瞬の間を置いて、女性がくすくすと笑い出した。

「なんか、このままだとずっと謝ってそうね。私たち」

 笑いながら言う女性を見て、セオドアも釣られて笑った。

「そうですね」

 お互いひとしきり笑い合うと、女性は膝をつきセオドアと同じ視線になると目を丸めた。

「あら、貴方…」

 女性の表情の意味が解った気がして、セオドアはどうしようかと迷った。

 彼女はおそらく、自分が誰かを知っているのだ。

 バロンの国の者ならば話を少しすればいいのだが、セオドアは彼女に会うのは初めてだったので、どう対処していいのか解らない。

 どう切り出していいものか解らなくなったセオドアの気持ちが伝わったのか。

「ご両親は元気?」

 女性は微笑んでセオドアにそう言った。

 セオドアは一瞬目を丸めたが、すぐに笑顔で頷いた。

「はい! 父も母もとても元気にしています」

「そう。良かった」

 嬉しそうに笑って言う女性にセオドアは小首を傾げた。

「父と母を知っているんですか?」

「ええ、もちろん。―――――ああ、そうだわ」

 笑いながら頷いた女性はローブの中を漁ると、何かを取り出した。

「いきなりで申し訳ないんだけど、これを貴方のお父様に渡して欲しいの」

 差し出されたのは、藍色に光るクリスタル。

 小さいが、光が溢れているように美しく輝いていた。

「これを…父に?」

「ええ」

「どうして?」

 首を傾げるセオドアを見て彼女は小さく笑った。

「昔、貴方のお父様にとても良くしてもらった事があって。そのお礼をずっとしたくてね」

 これは、そのお礼みたいなものなのよ。

 そう、女性は言った。

 セオドアは女性とクリスタルを交互に見つめる。

 女性が父や国に仇なす者であったなら、これは受け取ってはいけないだろう。

 しかし、短い間だがセオドアには彼女が悪には見えなかった。

 そしてなにより、この光り輝くクリスタルが悪しき物にはどうしても見えないのだ。

「………わかりました」

 ぎゅっとセオドアはクリスタルを握り締めた。

「父に必ず渡します」

 真っ直ぐに女性を見て言いきったセオドアを見て女性は一瞬目を丸めると破顔した。

「ありがとう…」

 その一言にはたくさんの思いが詰まっているのだろうとセオドアは思った。

 渡してくれること、女性を信じてくれたこと、そういったいろんな思いがおそらく詰まっているのだと。

「セオドアー!」

 母の声が遠くから聞こえる。

 セオドアは声の方を向いた。

「あ、母上…。―――僕、そろそろ行きます」

「そうね。解った」

 女性は立ち上がると、セオドアに手を差し出してきた。

 差し出された手の意味を知り、セオドアは差し出された手を握った。

「お元気で」

「貴方もね。セオドア」

 手を握り合って離すとセオドアは母の許へと駆け出した。

 去っていくセオドアの耳に、

「セシルとローザ…貴方の大切に思う人たちの幸せを祈ってるわ」

 そう、女性の言葉が聞こえたような気がしたが、セオドアは振り返る事をせず進んで行った。

 

 

 その夜。

「父上」

「セオドア、どうした?」

 父――セシルの部屋に訪れたセオドアは父の近くまで行くと、握っていた手を開いた。

「これを、父上にと渡されました」

 セオドアの掌に乗る物を見て、セシルは目を見開いた。

 驚きと懐かしさが入り混じる視線の先には、セオドアが託されたクリスタルがあった。

「これは…」

「母上と一緒に今日城下へ行って…その時に会った旅の人に頼まれたんです。彼女は父上にとてもよくしてもらったと。これはそのお礼だって」

「そうか…」

 セシルは感慨深そうにセオドアの手に乗っているクリスタルをそっと掴むと自分の掌に転がした。

 懐かしい、自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 その中で、こんな芸当ができるだろう存在は1人しかいない。

 セシルは彼女の姿を思い浮かべる。

 彼女は今も変わらずにいるのだろうか?

「父上」

「ん?」

 自分の名を呼ぶ息子に目を向けると、彼は真っ直ぐに父であるセシルを見つめていた。

「彼女は一体誰なんですか?」

 セシルは息子を見て、笑った。

「セオドア。ひとつ、昔話をしようか?」

「昔話?」

「そう」

 息子には話していない、自分が経験した不思議な戦いの物語。

 妻や友人には話していたその物語は、夢の一言で片付けられてしまう事の方が多かった。

 しかし、夢と言うのはあまりにも現実味を帯びていた、セシルにとってはとても大切で忘れられない出来事。

「今日、お前が会った人の話さ」

 セシルは笑みを浮かべたまま息子の頭を撫でていた。

 

 

 

 

 

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