波の音が響く。
寄せては返し、返しては寄せる。普遍であり、しかして普遍ではない波。
ユウナは波打ち際をゆっくりとした歩調で歩いていた。
青い空には雲が流れ、とてもゆったりとした空気がユウナを包んでいる。
しかし時折、遠くから人の声が聞こえてくるのを耳に入れて、ユウナはくすくすと笑った。
主な声は、激であり笑いであり、とても楽しそうだ。
ボールがなにかにぶつかる音も聞こえてきて、ユウナはますます笑い声を立てざるを得なかった。
ブリッツボールのシーズンが近付いてきているのだ。
ユウナは今いるこの島、ビサイド島のチームであるビサイド・オーラカも当然参加する。
その最後の調整と言ったところだろうか、いつにも増して熱が入っているらしい。
特に今年は『新人』が1人入っているのだ、熱が入らずにはいられないのだろう。主にその新人が。
彼の頑張る姿を脳裏に浮かべてユウナは目を細めた。
嬉しいと、素直に思う。彼が傍にいると言うことが、こんなにも嬉しい。
波が砂浜を歩くユウナの素足を濡らす感覚を感じながら、彼女は立ち止まり海を見つめた。
遠く広い地平線。
遮るものが無い海の果てに海の鮮やかな青とは違う、空の柔らかい青が触れているように見えた。
平和だと、思う。
やっと掴んだ、幸せな平和だ。
「……あれ?」
ユウナの視界に何かが映った。
そちらに視線を向けると、桟橋の先に黒い何かがあった。
目を凝らしてしっかりと見れば、それは人の形をしていた。
黒い服を着た誰かが桟橋の縁に座っている。。
極彩色が多いビサイドではあまりに見る事が無い色――姉のような黒魔道士は黒を好んで着ているが、それでもやはり珍しいのだ――にユウナは驚いた。
しかしよく見ると、その黒はどこか普通の黒とは言い難いような気もした。
黒よりも深く、恐怖と共に安ぎを与える。
ああ、そうか。
「夜の色…」
満天の星を輝かせ、月を祝福する夜。
あの人は夜を纏っているのだ。
「桟橋に座ってるって事は、定期船を待ってるのかな?」
ユウナは首を傾げる。
定期船は数十分前に出てしまい、少なくとも数時間は来ない。
余計なお世話かもしれないけど…ユウナはそれを伝えるために桟橋へと歩き出した。
「定期船を待ってるんですか?」
黒い服を着たその人は背格好からして女性だった。
海を見ているためユウナからは背中しか見えないが、それでもユウナはその背中にそっと声をかけた。
ぴくり、女性の肩がかすかに震えて彼女はユウナへを振り返った。
女性はユウナの顔を見て息を飲んだが、すぐに表情を元に戻す。
「うーん…そんなところかしらねぇ」
少しだけ考えたそぶりを見せて、女性はユウナに笑って見せた。
女性の笑顔にユウナは一瞬言うのを憚れたが、しかし言わなくてはならないだろう。
「あの…」
「うん?」
「定期船、さっき出ちゃって…その………」
うまく言えず口ごもってしまったユウナの言いたい事が解ったのだろう。
「…………あー」
女性はなんとも言えない音を口から出した。
「次、どれくらい?」
女性が尋ねるので、ユウナは今度こそ素直にハッキリと答えた。
「2、3時間くらいあと……です」
「なーる」
困ったように眉間に皺を寄せる女性は、ユウナから目を離し目前に広がる海を見つつ、桟橋から出ている膝から下の足をぶらぶら揺らしながら首を捻る。
「どうするかなぁ? まあ、ここでのんびりと海と空を見てるのも一興だけど…」
足を揺らしつつ、女性は再びユウナを見た。
「ここで会ったのも何かの縁だし、私と話していかない?」
茶目っ気たっぷりにウインクをさせて、ユウナは目を丸めたが。
「私で良ければ」
笑って頷いていた。
桟橋に座る女性の隣にユウナが同じように座っていた。
「へぇ、スフィアハンターをねぇ…今は休業中?」
「うん、色々考えたいこともあるから休ませて貰ってるの」
「そっかぁ」
当たり障りの無い事を話していくうちに二人はだんだんと打ち解けて行き、最初は敬語だったユウナも知らずのうちにいつもの喋り方になっていた。
「まあいろいろあるしねぇ、ゆっくりで良いんじゃない?」
「うーん。でものんびり過ぎるのもどうかと思うから、ほどほどに…かな」
「言えてる」
二人は顔を見合わせるとくすくすと笑った。
女性は笑みを浮かべたままで目の前にある青い世界に視線を向けた。
「綺麗ね」
海の青、空の青。
全ての青が解けているかのような不思議で美しい世界。
「私、この海が大好きなんだ」
ユウナも海を見つめて呟いた。
「いろいろ…辛い事も楽しい事もあったけど。この海を見ると、とても元気になるんだ」
「解る気がする」
女性が前を向いたまま頷いた。
海も空も全てを包み込む。
悲しみも、喜びも。
ただ、そこにあるだけで。
「大切にしていかなくちゃいけないね」
死の螺旋からやっと解き放たれた、
「そうだね」
穏やかになったこの世界を。
二人はなに言わずに海を見つめていた。
ゆるやかに、雲は空を泳ぎ、海の向こうへを渡っていく。
その姿を見ていると、
「ユウナー!」
ユウナの名を誰かが呼んだ。
目前の世界を見つめていたユウナはその声に我を取り戻すと、慌てて声の方を向いた。
休憩に入ったのだろうか? 彼の声だ。
「そろそろお開きかしらね?」
迎えが来たみたいだし。
女性はくすっと笑ってユウナと同じ方向を見た。
足音が近づいてきている。
ユウナは慌てて立ち上がると、女性の方を向いた。
「ごめんなさい、私行かなくちゃ」
「うん」
女性も立ち上がると、そっとユウナに手を差し出した。
その手には小さな青いスフィアがひとつ、転がっていた。
「これ…」
初めて見る大きさのスフィアに目を大きくしているユウナに対し、
「話し相手になってくれたお礼。すごく楽しかったから」
女性はからからと笑い声を弾ませていた。
「ありがとう」
微笑む女性を見て、ユウナもやっと表情を柔らかくした。
「私こそ、ありがとう」
ユウナは女性からスフィアを受け取る。
満足げに女性は頷くと、ユウナの後ろを見た。
1人の男性が近付いてきている。
元気そうなその姿に女性は口の端を上げると、ユウナを見つめた。
「ユウナ。ティーダといつまでも幸せにね」
心からの願いを口にした瞬間、ユウナのはっとした。
「え? それって…」
ユウナが言葉を言いきる前に女性の姿は、消えていた。
彼女がいた場所には幻光虫が現れ、その幻光虫も広い世界へと散っていった。
幻光虫のひとつがユウナの横を通り過ぎる。
彼女は一体…。
呆然と目の前を見つめていると。
「ユウナ!」
ユウナを迎えに来た彼がやってきた。
「ティーダ」
「どうしたんだよ、そんなとこでぼーっとして」
心ここにあらずと言った雰囲気でティーダの名を呼ぶユウナに彼は首を傾げて、ユウナの顔を横から覗きこむ。
「なんか、あった?」
心配そうに聞いてくるティーダにユウナはどう言えばいいのか迷っていた。
彼女は死人だったのだろうか?
たしかに、死人とそうでない人の区別は付けにくい。だが、ユウナはどうしても彼女が死人であるとは思えないのだ。
ティーダになんと説明しようと思っているユウナを見て、ティーダは彼女の手に何かが握られているのを見た。
「ユウナ、それは?」
「へ? ……あ」
知らずのうちに握っていたそれをユウナはティーダに見せた。
「さっき、ここに女の人がいたの、夜みたいな綺麗なローブを着た人でね。これをくれたの」
ユウナの掌にある青いスフィアを見た瞬間、ティーダの目を疑った。
形と大きさは違えど、この青いスフィアをティーダは見た事があるからだ。
ここではない、異世界。
自分を含めた10人の戦士と、その導き手。
「ティーダ?」
スフィアを見て、何も言わなくなったティーダを見てユウナが小首を傾げればティーダはグッとユウナに顔を近付けた。
「ユウナ! これを渡したヤツ、どこに行った!?」
いきなり顔を近付かれて飛び上がりそうになったが、ユウナは何とか心臓を落ち着かせるためにゆっくりと話した。
「わからない。これを渡したあと、消えちゃったから」
「消えた?」
ユウナは小さく頷いた。
「ぜんぜん、死人に見えなかったのに、死人みたいに幻光虫が溢れてきて…いつまでも幸せにって」
下を向き俯いてしまったユウナを見て、ティーダは確信を得た。
「ユウナ、そいつ死人じゃないっスよ」
彼女は不安定な存在だった。
しかし、どこまでもその存在を輝かせていた。
「ただ…。ちょっと、変わり者っツーか特殊なヤツで…あれだな、幻光虫で体を作りたかったんだよ」
自分で言って彼女なら実際にやりそうだと思わせるのだから、本当に凄い存在であるとしか思えない。
「……ティーダ、あの人の事知ってるの?」
ユウナが顔を上げれば、たぶんなとティーダは大きく頷いた。
「前に話しただろ? オレのもうひとつの物語」
異世界を旅し戦った、もうひとつのティーダの物語。
「そのスフィアはそのときの大切な物で、ユウナが会ったそいつも大切な仲間の1人なんだ」
いつか会わせたいなって思ってたからスッゲー嬉しい。
そう言い放ち屈託の無い笑顔を見せるティーダを見て、ユウナも微笑んでいた。