時つ風。
天つ空。
遠く、とおく、想いを届けて。
Sentimental
不精者。
怠け者。
物臭太郎。
正にうってつけな台詞が次から次へと浮かぶ。
天気の良い、晴れた空を思い出させる髪をした少女は、ベッドの上で昼間から寝転がる男をねめつけた。
「ちょっと、三蔵」
広げられた新聞に目を落としながら、彼は何だ、と返事をする。
宿屋の一室。
三蔵と少女の他には、ヒトの姿は見当たらない。
テーブルの上には、彼らの荷物と思しきものが整頓されている。
「例によって例の如く、八戒達は買出しに行かれましたの」
「で?」
わざとらしいくらいの丁寧な台詞を吐き、
少女はベッドのスプリングが軋む程に高く跳ねて飛び乗った。
「暇なんだよっ!私も行けば良かったー!!今頃、何か美味しいものとか食べてたらどうしよう?!」
寝転がった三蔵を揺らしながら、喧しく喚く。
慣れているのだろう。
当の三蔵は、意にも介さぬ様子で適当に返事をする。
「俺に言うな」
横に立てていた身体をうつ伏せにして、面倒臭そうに溜息を吐いた。
そんな彼に、びしりと人差し指を突きつける。
「と言う訳で、私と一緒に遊びなさい」
げんなりとした口調で、静夜、と少女は呼ばれた。
「どう言う訳だ」
眼鏡越しに見る新聞の文字が、静夜がベッドを揺らすのでブレて見える。
読むことを諦めたのか、鬱陶しげに顔だけを彼女へと向けた。
「大体、何して遊ぶってんだよ、大の大人が」
言われ、はた、と動きを止める。
暫く逡巡した後、ぽつりと呟いた。
「ババ抜きとか」
「…テメェ、選りによって2人でやって、一番面白く無いものを」
他に無いかと、ベッドから降りて荷物を漁る。
どのようにして入っていたのか、甚だ疑問ではあるが、大きな遊戯板が引きずり出された。
双六に良く似た遊戯板だ。
「じゃあ、人生ゲーム?」
「何でそう、大人数でやるゲームばっかりなんだよ」
「仕方無いじゃん、大所帯なんだから」
頬を膨らませて、荷物へと手を突っ込む。
何か硬いものが指先に触れた。
プラスチックのケースだと確信して、彼の眼前に差し出す。
「この際、麻雀でも良いからさー」
ケースの蓋を開けると、漢字や絵柄の付いた長方形の牌が並んでいる。
だが正直、静夜にはどれが何だかさっぱりだ。
「お前、役織らねぇだろが」
言い当てられて、ぐ、と言葉に詰まる。
そもそも、あまり興味の無いものを覚えると言うこと自体が間違っていると思う。
静夜はそう、結論付けた。
もう一度ベッドに飛び乗り、三蔵の腰へと跨る。
「暇暇ヒマ!遊んで〜!!」
重たい、と言いかけて、物凄い勢いで睨まれた。
けれど、無理矢理退かしても、彼女が転げ落ちると踏んだのか、上半身を捻り、静夜を見上げて怒鳴る。
「煩ェ!昼寝でもしてろ!!」
その台詞に彼の背中に突っ伏して、負けじと静夜も叫んだ。
「いい若いモンがそんなのヤダ!!三蔵みたいに若いウチに老衰したく無いー!!まだピチピチの女の子なのにィ!!」
「喧しい!!」
怒鳴り合いのような、漫才のような、さては痴話喧嘩のような、
兎も角、あまり関わり合いになりたくない言い争いは、この後暫く続いたようだった。
頬を、暖かな風が撫ぜて良く。
心地良さに、更に深く眠りに落ちかける。
「…う、ん」
自分の漏らした声に、意識が現へと呼び戻された。
風が揺らす自分の髪を抑え、少女は身を起こした。
さぁ、と蒼くなる。
(私としたことが、眠ってしまったのだわ!)
太陽の位置が変わっている。
1時間以上は眠り呆けていたのだと即座に理解する。
確か、用事が終わり、桜の咲き誇る庭を通りかかった。
快い陽気に、ゆるやかな日差し。
ひなたぼっこを決め込んで、桜の大木の下へと腰を降ろした。
鳥の囀り、優しく包み込むような春風。
降り頻る春の雪が、大地を覆う。
髪や着物にそれが纏わりついても、厭わしくなど無かった。
遠くに聞える喧騒が嘘のように穏やかな空間。
そのようなことを思いながら、うつらとしていた。
その後の記憶は、無い。
不意に飛び込んで来た、綺羅綺羅しい金糸の髪。
太陽の光に良く似た、黄金色の。
「こ、んぜん?」
呆然と呟き、少女は自分が寄りかかっていたものが、桜の木で無かったことを織る。
つまりは、確かに先刻より彼はそこに居たのだ。
「何だ。起きたのか、太真」
先程までの、百面相振りを見られたのだと悟るまで、時間は掛からない。
乱れた髪を指先で整えながら、頬を薄紅に染め、舌足らずに言の葉を紡ぐ。
「何故、貴方が此処にいますの?」
「俺が行こうと思った場所に、お前が居ただけだ」
金蝉は、手にした本から目を離さずに返す。
相も変わらず素っ気無い返答に太真も、そう、とだけ答えた。
本当かもしれないし、嘘かもしれない。
けれど、そのようなことは瑣末なもの。
ややあって、金蝉が呆れた様子で口を開く。
「お前、こんな所で大口開けて寝るなよ」
「ぇ…えっ?」
「ついでに鼾かいて、寝言まで」
「えぇっ?!」
「終いには笑い出してたな」
次々と並べ立てられる愚行に、太真は慌てふためいた。
しかし、すぐに胡乱げな視線を彼に向けた。
「…嘘ですのね」
幾らなんでも、そこまでやるようならば、普段より、女官達から自分の耳に入るはず。
からかわれているのだと気付いた。
「意地悪です」
頬を染め、顔を背けた。
金蝉は笑いを噛み殺しながら、頁を捲る。
「こんな所で寝ているからだ」
本の間に桜の花びらが落ちる。
ふぅっと息を吹きかければ、簡単に宙へと舞った。
「気持ち良かったのですもの」
腕を前に突き出し、背伸びをする。
長い袖がふわりと靡いた。
「警戒心が無いにも程がある」
無邪気に微笑む太真に、彼は憮然と溜息を吐き出す。
ようやっと、叱られていることに気付いた。
気不味そうに、おずおずと彼を見やる。
「…ごめんなさい、金蝉」
視線は変わらず、こちらを見ようともしない。
文字の羅列を追っている。
「分かれば良い」
面倒臭げではあったが、一先ず怒ってはいないようだ。
安堵して、彼の脇から本を覗き込む。
彼女の影が、本の中に落ちる。
文字の解読を邪魔する暗さでは無い。
「何を読んでいますの?」
「官能小説」
ざっ、と勢い良く、太真は金蝉の傍から離れる。
何と言うべきか、口を金魚のようにぱくぱくと動かしてはいるが、音を成さない。
「冗談だよ。ただの純文学だ」
くつくつと笑いながら、太真に本を放り投げた。
手を伸ばして受け取ると、パラパラと頁を捲る。
3章に分かれており、長々と『私』の心情や、『先生』の動向が描かれている。
最後の章では視点が『先生』へと移り、その最後にまた、『私』へと視点が戻った。
(これ…読んだことありますわね)
確か、天蓬の書物だ。
「人間てのは、面倒臭い生き物だな」
大木に背を預け、空を見上げる。
良い天気だ。
深く透き通った蒼は、隣に掛ける太真を思わせる。
「あれこれ考えすぎて、終いには何も見えなくなってしまう」
前に戻ったり、後ろに進んだり、彼女は本を何度も捲る。
愛するヒトか、無二の親友か。
それを選ぶことで、片方を必ず失う。
『彼』が選んだのは『お嬢さん』であり、結果、尤も残酷な形で、永遠に『友』を無くした。
最後まで残ったのは悔恨の念で、罪悪感が愛するヒトに触れることすら躊躇った。
「愚かで、救いようの無い生き物だ」
吐き出された台詞に、太真は顔を上げる。
けれど、と本を閉じた。
「貴方はそれを羨んでいるのですね」
本当に一瞬、微かに見開く紫暗の瞳。
気付きながらも、太真は続ける。
「ヒトを、羨ましいと思うのでしょう?」
逃げ場の無い天界は、とても狭くて窮屈。
何となく1日が過ぎて、何となく時が流れて行く。
それを悪ろしと思う輩など、殆どいない。
退屈で、窮屈で、つまらない世界。
高いところに在るからと、地上を見下ろす神族などに、一体どれ程の価値があるのだろう。
神とは司り、宿るもの。
そこにそうしてあることに意味がある。
けれど、実際は、神を神たらしめているのは、それを信仰するヒトなのだ。
「誰が」
奇蹟を起こすことが出来るのも、定められた道を辿らずとも済むのも全て、神たりえぬもの。
その真実を、どれ程のものが気付いているというのか。
金蝉は素知らぬ風を装って、目を閉じた。
「意地っ張り。天邪鬼ね」
呆れ、苦笑するが、太真もまた空を仰ぐ。
「神族だって、不死では無い。何かが起これば、死に逝くこともある」
神族でありながら、短命である者もいる。
それこそ、不老不死ではない。
ヒトに比べれば永遠に思える時間を、ゆっくりと進む。
時間は掛かろうとも、確かに老いていく。
数百の年など、子どもが成人するに掛かる時間。
「貴方はそれを織っているでしょう?」
彼女が、何かを示唆して尋ねているのか、それとも、何も考えずに問うているのか。
探ることは出来なかった。
けれど、何かを不審に思っているのは織れた。
「それが如何した」
眉根を眉間に寄せて、渋面で俯いた。
「…もし、もしもの話」
やけに明るい声で、太真は口を開く。
不自然な程に、明るく。
「私も貴方も、死に逝くものであったのなら」
言葉にしてしまうのが畏かった。
けれど、言葉にして、冗談だと笑い飛ばしてしまいたかった。
「今度は私、元気な女の子に生まれたいですわ」
はしゃぐようにして、金蝉を覗き込む。
「男の子でも…いいえ、やっぱり女の子が良い。貴方を護れるくらい、強い女の子」
くすくすと笑いながら、彼の手に本を返す。
ついでに、余計な一言も付け加えた。
「貴方も今みたいに貧弱じゃなくて」
「悪かったな」
自分の体力の無さを思い織っているのだろう。
彼は不躾な台詞に顔を顰めた。
この前、悟空に突き飛ばされて吹っ飛んだなど、口が裂けても言えない。
「共に闘えるくらいに。そんな風になりたい」
気丈に振る舞ってはいるが、その瞳の奥底に眠るのは哀しみ。
触れることの出来ない、痛み。
織っていながら、金蝉は目を背けた。
「夢物語だ」
「夢ですもの」
寂しそうに微笑む。
小さく、首を振った。
「夢だから言うのですわ」
強く拳を握る。
只でさえ白い指先が、更に白くなった。
肩口から髪が流れる。
「…もし、夢じゃ無かったら?」
びくり、と肩が揺れた。
けれど、彼女はにこやかに顔を上げる。
「私が、元気な女の子になるのが?」
彼が何を言おうとしているのか。
分からなかった訳では無い。
ただ、織ってしまうことが畏かった。
織りたいと思っているのに、いざその時になると畏れる。
なんと情けないことだろう。
そうしてまた、彼にその先を紡がせてはならないとも思った。
痛みを伴うのは、きっと自分だけでは無い。
「…もう、良い」
「そう」
暫くの沈黙。
苦痛では無い。
ただ、自然にそこにある風景に良く似ている気がした。
「『変わらぬものなど無い』」
何だ、と金蝉が訝しげに視線を向ける。
それに気付き、にこりと微笑った。
「観世音菩薩の口癖ですわ」
男神とも、女神ともつかぬその容貌。
観世音菩薩は金蝉の親類だ。
他の神とは何処か違う雰囲気を纏う、所謂変わり者。
それを思い浮かべたのか、金蝉は渋い顔をする。
「だったら、私達もまた、変わり行くものなのでしょう」
ふわりと微笑むその様は、まるで春風のよう。
何処か寂しく、何処か儚い、巡り行くやわらかな風。
「生へと向かう死も、死へと向かう生も」
きっとこれは、予感ではない。
咎めるでも無く、彼女の名を呼ぶ。
「太真」
あまりに消え行きそうな微笑みだった。
目の前にいるのに、ふ、と掻き消えてしまいそうな。
返事の代わりに、太真は口を開く。
「良い風ですわね」
ぽつり、と漏らす。
「本当に、良い風」
名残惜しそうな囁きにも似た呟き。
「金蝉」
桜が舞う。
春の雪が降り頻る。
風が、疾る。
「見えぬ未来を悲観するより、どうか、ここにある今を想って」
顔を上げた太真は、彼の手を掴む。
微かな温もり。
彼が、彼女が、ここにいるのだと実感出来るだけの。
「貴方の心を占めるものがそれだけなど、哀し過ぎる」
泣いてしまえたら良い。
大声で、子どものように駄々を捏ねて。
不安なのだと。
畏れているのだと。
何処にも、行かないでと。
けれど、そのようなことを一体誰が望むと言うのか。
「寸前に差し出される未来より、ずっと遠くの遥か行末を」
自分は望まない。
彼も、望みはしない。
だったら、そうすることに意味など、無い。
「皆、ここで立ち止まるような性質では無いでしょう?」
声を失う金蝉に、首を傾げて微笑む。
「もし、先に言った通りの未来が訪れるのならば、私は祈ります」
ゆっくりと両手を組み、目を閉じた。
神族が一体何に祈ると言うのだろう。
それでも、祈りたかった。
望みを、掲げたかった。
「遥か彼方の未来の中で、貴方達と出会えることを」
遥か先。
遠い未来。
紡がれるべき想いの末を。
一度、真一文字に口元を縛り、金蝉は顔を背けた。
「縁起でも無い」
あら、と不思議そうに尋ねる。
「貴方が縁起を担いだことなど、あったかしら」
嘆息して、前髪をかき上げた。
思わず苦笑してしまう。
「口の減らない奴だな」
「お互い様ですわ」
くすくすと微笑う声は、舞う桜の花びらへと紛れて行った。
片手に荷物を抱え、悟浄がドアノブを回す。
背中で扉を押し開いた。
両手に荷物を抱える悟空は部屋の中へと呼びかける。
「たっだい…ま?」
妙なアクセントで語尾を止めたまま、悟空は一向に中に入ろうとしない。
扉を抑えている悟浄も、
後ろに立っている八戒も通行止めだ。
「何、立ち止まってんのよ、お前は」
「だって、三蔵と静夜が寝てるから」
勢い良く閉じられる扉。
悟空の目前すれすれだ。
「っぶね!何すんだよ、悟浄!!」
慌てて悟空の口を抑える。
「謝るから、大声出すなっ!!」
小声の大声とはよく言ったものだ。
悟浄の発する台詞は、正にソレ。
「あ」
八戒が扉を見やると、ガチャリ、と音がして、内側から開かれた。
寝惚け眼で、髪はぼさぼさのまま、静夜が顔を出す。
「…何やってんの、3人とも」
「あ、れ?服、着てんの?」
「何で裸じゃないといけないワケ?」
欠伸をひとつして、大きく扉を開く。
ベッドを見やれば、三蔵もまた寝惚け面で欠伸をしていた。
3人が入ると扉を閉め、背伸びをする。
「皆帰って来たってことは、もう夕方?」
窓の外を眺め、橙色に染まりかけた空に気付く。
一気に目が覚めたのか、大声で叫んだ。
「あぁもうっ!三蔵につられて、昼寝しちゃったじゃん!!」
「ヒトの所為にするな」
ベッドの上に広げられたままの新聞を片付けながら、ブーツに足を入れる。
「…あ、昼寝ね」
がっかりしたような、安堵したような声を漏らす悟浄を横目に、
テーブルに荷物を置いて、八戒は部屋に備え付けられた時計を見上げた。
「2人とも起きたようですし、食事にでも行きますか」
「さんせーい!」
元気良く、悟空と静夜が挙手して返事をする。
「私、杏仁豆腐食べたい」
「胡麻団子は?」
「良いかも」
「色気の無ぇ…」
早速、食事を通り越してデザートの話を始める2人に、悟浄はぽつりと漏らした。
まだまだ色気より食い気。
そう思わざるを得ない。
時つ風。
天つ空。
遠く、とおく、想いが聞こえる。
END
『三蔵と静夜、金蝉と太真のラブラブ小説』のリクを下さったanam様へ捧げます。
静夜と太真いうのは、anam様んとこのオリキャラです!
ヒト様のオリキャラって楽しいんですよ、コレが。
自分で設定考えなくて良い分だけ(爆)。
ラブラブ・・・かどうかは甚だ謎ですが、こんなもんで宜しければどーぞお持ち帰りください。
お礼状
「CherryBlossoms」の紅桜様からいただきました。4周年記念リクエストでリクしたものなのですが…。
もうもう、読んでる最中に悶えておりました(笑)
他者の気配に敏感な三蔵が無防備に静夜と一緒に寝ているのを見て信頼してるのがいいなぁとか。
金蝉が何も言わずに太真の傍にいて守っている姿(笑)とか。
本当に素敵ですぜ!
三蔵と静夜、金蝉と太真の会話のテンポのよさも好き!
小説と同時にイラストもリクして描いて下さったのでここにアップ。
丁度イラストがこのお話にリンクしているのですヨv
これまたよくて!悶えております(笑)
もう本当になんと言っていいか…!
紅桜さん、本当にありがとうございます!
これからもよろしくお願いますね!
2004.10.30