願いは、叶わない。
祈りは、届かない。
俺は、其れを織っているから。
職務が一段落したのか、男は掛けた椅子の背凭れへと深く身を沈める。
服装から察するに、彼は僧侶だ。
然し、僧侶がすべき黒衣を纏ってはいない。
其ればかりか、僧侶として在るまじき、見事とも言うべき金糸の髪を持っている。
真白な法衣に、金をあしらった袈裟。
双肩に掛けられた経文。
額に浮かぶ、深紅の刻印。
室内で在る為か、金冠こそ載せられてはいないが、其の風貌は間違うことなく『三蔵法師』の正装であった。
少々きつめの印象を受ける双眸が、微かに細められる。
其れと同時に、勢い良く、職務室の扉が開かれた。
「さ・ん・っぞー!!」
花丸を進呈したい程の元気な声に、太陽を思わせる笑顔。
額に金鈷を装着させた幼子が、小さな笹を手にして入ってくる。
笹と一緒に、縦長い色紙も持っている。
三蔵と呼ばれた男は、げんなりと頭を抱えて、机に突っ伏していた。
「あれ、どしたの?」
「…煩ぇ」
幼子はきょと、と首を傾げて、彼を覗き込む。
胡乱げに向けられた視線は、彼の心労を物語っていた。
「悟空。何だ、其れは」
「え?三蔵、笹織らねぇの?!」
驚いたように身を引く少年を、何処からか取り出した大きなハリセンで思いっきり殴る。
「誰が添ういうことを尋ねている!如何したと言っているんだ!!」
叩かれた頭を抑えながら、蹲る。
悟空は見下ろす彼を涙目で睨んだ。
「町に行ったら、店のおばちゃんがくれた」
「…礼は?」
「言った」
笑える程に親子な会話を交わす彼らの関係は、罷り間違えても添うでは無い。
三蔵は僧侶でも在る所為か、勿論独り身だ。
そして、悟空に至っては親兄弟は在り得ない。
否。
この大地にあるもの全てが、彼の肉親なのかもしれない。
幼子を縛る呪は『斉天大聖孫悟空』。
大地が生み出した、稀なる存在。
何処までも、穢れ無き魂。
神々を以ってしても手に余った残虐とも言える其の強さは、額の金鈷にて封じられている。
其の強さの余り、自我を保つことが出来ないのだ。
五百年の封印の果て、封じられていた岩牢から連れ出したのが三蔵である。
以降、三仏神の命も在り、寝食を共にしていると言う訳なのだが、早まったかもしれないと言う念に駆られなかったことは無い。
「こんなのも貰ったんだけど、何に使うんだろ?」
持っていた、彩鮮やかな縦長い紙を彼の目前に指し示す。
「願掛けだ」
イコール願いごとだと理解するのに、暫くの時間を要した。
たっぷりと沈黙した後、悟空はあぁ、と頷いた。
訳の分からない疲労感がどっと押し寄せる。
ふぅんと呟いて、床に直接座り込んだ。
三蔵は椅子に掛け直すと、筆を取る。
幾つかの短冊を手にした悟空は暫く其れをじっと眺めていた。
「如何した?」
再び手を付け始めた職務をこなしながら、三蔵は悟空が何も書かないことを不審に思う。
「付けても良いものって、此れだけ?」
色とりどりの短冊を指差し、尋ねた。
「いや、飾りなんかも在ったと思うが」
「じゃあ、其れ教えて」
「短冊は良いのか?」
筆を置き、一休みする。
引き出しから煙草を出し、火を点けた。
何故か、この部屋には灰皿が在る。
喫煙家の彼への配慮か、自分で持ち込んだものか。
後者の可能性が非常に高い。
若しくは、本人に其のつもりが無くとも、
脅された小坊主が持って来たかという選択肢も無きにしも非ず。
そんな三蔵の様子を見上げもせずに、呟いた。
「だって、無いもん」
カチ、とライターの蓋が閉じる音だけが、やけに響いた。
くるくると、紙縒りを作りながら、悟空は言う。
「星は願いを叶えてなんてくれない。でも、叶えて欲しい願い事も、無いよ」
机の向こう側に座り込んだ幼子の姿は、此方からは良く見えない。
表情など、尚更だ。
「願いは叶わない。祈りは届かない」
切なさを纏う言の葉は、静かに響く。
「俺は、多分其れを織ってる」
ただ、静かに。
でも、と悟空は呟く。
けれど、直ぐに首を振った。
「…ううん。だから、かな」
ほと、と煙草の先が、灰皿に落ちる。
「『望み』は在るけど、『願い』は無いんだ」
悟空は思う。
きっと、願った。
何かを、強く強く願っていた。
祈りにも似た願いを、強く、強く。
添うして、叶わなかった。
添うして、届かなかった。
願うことしか出来なかった自分を、きっと呪った。
祈ることしか出来なかった自分を、多分罵った。
だからこそ、今、強く思う。
言っている意味が理解出来ず、三蔵は悟空の台詞に耳を傾けた。
少しの沈黙の後、口を開く。
「…違うのか?」
「全然違うじゃん!」
ムキになって、悟空は叫ぶ。
「だって、『願い』は人任せだけど、『望み』は自分でどーにかするじゃん!」
勢いに任せて立ち上がった悟空は、三蔵の机に齧り付く。
微かな風が起こり、薄様の紙がふぅわりと浮かんだ。
見上げてくる瞳に、三蔵はひとつ溜息を吐いた。
「そんなモンか」
彼の返事を憮然としながら、幼子は頬を膨らませる。
普段から、話を聞いているのかいないのかも、
よく分からない反応しか返っては来ないのだが。
「添うだよ。三蔵って、変わってんなー」
「…手前にだけは言われたく無い」
咥えていた煙草を灰皿に押し付けて、もう一度深々と溜息を吐いた。
こんな幼子でも、日々成長しているのだろうと思うと複雑な気分だ。
消えることの無い傷跡を、其の身に深く宿しながら。
だが、他人のことを気にするのは、性分ではない。
彼に出来るのは、ただ、見守ることだけなのかもしれない。
願いは、叶わない。
祈りは、届かない。
俺は、其れを織っているから。
だから、自分自身に『望み』を掛けようと思ったんだ。
END
あとがき。
確か、一昨年くらいの暑中見舞い小説のさらに過去バージョン。
これ単品でも全然おっけぇにはしております。
三蔵と悟空は書きやすいです。
お礼書き
紅桜さん!今年も暑中見舞いです!!
一昨年の小説の裏話的な感じですね!
確かに、願いは神頼みだけど、望みは自分でなんとかしようと思えば出来るもの、ですよね。
そう考えると…ヤッパリ悟空が一番大人なのかも。
紅桜さん、ありがとうございます!
2004.7.30