Cicada's Clock
ジィジィと鳴く蝉は、時に暑苦しく、喧しく聞えるけれど。
その生命は確かにそこにあった。
熱気がグランドを覆い尽くす。
夏休みだと言うのに、グランドには運動部の生徒が練習に励んでいた。
サッカー部もその例外ではない。
「フォーメーション、変えるぞ!!」
まだ成長途上な低くも無く、高くも無い少年の声が部員へと指示を出す。
ジリジリと肌を焦がす陽の光。
額や腕、足はじっとりと汗ばんでいた。
「タツボン、そろそろ休憩しよーや。」
水野の指示に、金髪の長い髪の少年はギブアップを申し出た。
「シゲ…お前はどうしてそうサボろうと…。」
「俺だけじゃあらへんて!皆、バテてるやん!!」
慌てて弁解するシゲ。
言われて、彼がサッカー部を見渡すと、全員暑さにやられて肩で息をしている。
仕方ない、と言った様に、水野は時計を見上げる。
「じゃあ、今から…30分でいいな。休憩にしよう。」
木陰に避難すれば、女子サッカー部も涼んでいた。
「あ、女子も休憩?」
「風祭。」
将は有希達の傍に駆け寄った。
内1名、顔が紅い者がいるが。
「あれ?みゆきちゃん、日射病?」
将が気付き、問い掛ける。
「え?!いっ…いえ、そんな!!」
慌てた様子で、みゆきと呼ばれた少女は首を振る。
「そう?それならいいけど。」
彼意外の人間は苦笑していたが、それに将が気付くはずも無い。
ぽつり、と梓は呟く。
「サッカー以外には、ホント鈍感だね。」
ため息混じりに吐きだされた台詞に、ほぼ全員が頷いた。
「え?」
「何でも。」
素知らぬ顔で梓は顔を背ける。
立っていることに疲れたのか、続々と地面に座り込む男子。
タオルで汗を拭いている。
「将くんも座ったら?」
彼女の勧めに、将は大人しく応じる。
「姉御、全然疲れてるようには見えへんけど。」
「疲れてないもん。」
シゲはどこからか持って来た団扇で煽ぎながら、ベンチに座る。
蒸し蒸しとする熱の中では、あまり涼しくは無い。
「疲れていないのに休憩するのか。変わった奴だな。」
不破は淡々と評した。
引きつった笑みを浮かべたまま、スポーツドリンクを飲む彼に視線を向ける。
「それはドウモ。」
「ずっとやっていても、効果はあがらないわ。少しずつ休憩を交えて、身体を慣らしていくのよ。」
有希が言うと、不破は納得したように頷く。
そうか、と何事かをブツブツと言っているようだ。
それがどのような結果を齎すのかを、頭の中で考えているのだろう。
「あれも暑苦しいやっちゃな。」
呆れたように、不破を振り返る。
「お前の頭もな。」
コンとシゲの頭を缶で軽く叩いて、水野が姿を現す。
「イヤン、男前って言うてv」
後ろの方で、高井達が変なモノでも見るように距離をおいて眺めている。
そんなシゲに関わることもせず、水野は持っていたものを漁り始めた。
「水野君、それどうしたの?」
将が不思議そうに彼の持っているビニール袋を見やる。
「スポーツドリンク。買っておいたんだ。」
そう言って、彼は皆にそれを渡していく。
「僕も手伝うよ。」
将は半分受け取り、別の場所で休んでいる部員達に渡しに行った。
女子部員の分を合わせても、余りあったらしい。
残ったスポーツドリンクをベンチの端に掛けた。
「風祭も十分元気よねぇ。」
くすくすと笑いながら、有希は彼の背中を見送る。
「楽しくて仕方がないって感じですよね。」
森長も笑いながら、スポーツドリンクの栓を立てる。
「皆一緒でしょ?」
梓は素早く缶を開けると、一気に流し込む。
「スキだから、やってるんだもの。」
「ま、その通りだな。」
言った本人を眺めながら、梓はひとりごちた。
「…高井って人一倍暑そうよね。」
「ほっとけ。」
聞えたのか、梓の呟きに高井は顔を顰める。
「冗談だって。」
「今のは本心からだったぞ。」
「不破!アンタも余計なこと言わない!!」
結論が出たのか、不破が顔を上げて忠告してきた。
フォローもいれてくれない彼に、梓は思わず突っ込む。
そうしているうちに、将が戻ってきた。
「皆に渡してきたよ。」
「すまなかったな。」
将の分のスポーツドリンクを投げ渡す。
「ううん。」
受け取って、開ける。
「にしても、蝉が喧しいわ。」
シゲがうなだれるようにして、木を見上げる。
蒸し暑さを倍増させる鳴き声は、耳に纏わりつく勢いだ。
「でも、これも夏の風物詩ですよね。」
同じ様に見上げながら、将が呟く。
聞き慣れぬ台詞に、ぱちくりと目を瞬かせていたシゲだったが、すぐにいつもの調子を取り戻す。
「お。何や、ポチ。小難しい言葉使うて。」
にやにやと、将の顔を覗き込む。
「あ…いえ…。」
「何でもないのに、その反応は可笑しい。」
「不破…アンタはどうして…。」
梓が、涙ながらに不破の肩を掴む。
ヒトには言いたくないことの1つや2つあるものだ。
何故それをわかってくれないのか。
「どうした?」
彼女の言わんとしていることに対して、全く分かっていない彼は、頭にクエスチョンマークを浮かべている。
「もういい…。」
「本当に、何でもないことだよっ。」
顔を紅くして、将は座り込む。
「昔、お父さんに言われたんだ。」
少しずつ、彼は語り始めた。
帽子を被って、パタパタと駆けていく幼子。
手には虫取り網と籠をしっかりと握り締めている。
「あ。」
自分よりも、数倍も高い木を見上げて、彼は声を上げた。
「お父さん!お父さん!!蝉がいるよ!!」
小さな手を一生懸命振って、後から来る父親を呼ぶ。
しかし、彼は走ることはせず、ゆっくりと歩いてくる。
そんな父に焦れたのか、一度戻って、彼の手を引っぱっていった。
「もう、早くっ!」
「待て待て。」
「だって逃げちゃうよー。」
将は、帽子を抑えながら走る。
見上げたと同時に、蝉はジジ、と飛んでいってしまった。
「あ…。」
しゅん、と萎んでしまった息子に、彼は苦笑する。
「…逃げちゃった。」
「ちゃんと見えたから、大丈夫だよ。」
「ホント?ほんとに見えた?」
「あぁ。」
頷くと、将の顔は晴れやかなものに戻る。
「えへへ。」
何にかは分かりかねたが、少年は照れたように微笑う。
「見たこと無い蝉だったから、きっと、神様の蝉なんだよ。」
「そうかもなぁ。」
「友達にも見せたかったなー。」
つられて微笑む。
チラ、と見えたのは淡い緑色の蝉だった。
恐らく、羽化したばかりの蝉だったのだろう。
ソレを織っていたが、口にはしない。
兄とあまりにも違う、真っ直ぐな性格をした少年を傷つけてしまうのでは、と危惧した為だった。
「でもな、将。どんな蝉でも、長い時をかけてやっと地上に出て来るんだ。」
「長いってどれくらい?たくさん?」
ぴょんぴょんと跳ねながら、父に答を急かす。
「そう、たくさんだ。」
屈んで、将と視線を合わせる。
アスファルトがジリジリと、暑さを増幅させた。
「地上に出てきたら、どれくらい生きられると思う?」
問われた台詞に、将は瞬きを繰り返す。
困ったように口をへの字に曲げて、考え込んだ。
「えっとね、えっと…100年くらい!」
幼子特有の発想に、父親は苦笑する。
だが、その答に首を振った。
「これだけだ。」
指を7本立てて、少年に見せる。
1つずつその指を数えながら、最近覚えたばかりの数字を口にした。
「1、2、3…7…年?」
しかし、この答にも父親は首を振る。
少年は心底不思議そうに、首を傾げた。
「7日、つまり1週間から2週間だ。」
大きな瞳が更に見開かれる。
将は慌てたように、父親に尋ねる。
「だって、たくさん土の中にいたんでしょ?」
「あぁ。」
「たくさん、おやすみなさいして、それから出てきたんでしょ?」
「そうだ。」
哀しげに寄せられた眉根は、すぐに見えなくなった。
俯いたまま、持っていた虫取り網と籠を父親に突き出す。
「将?」
「コレ…いらない。」
下から顔を覗き込むと、少年は大きな瞳に涙をいっぱい溜めていた。
頭を撫でると、ぽろぽろと大粒の涙が零れる。
「ごめんなさい…っ。」
「何を謝る?」
ごしごしと手の甲で涙を拭い、鳴き続ける幼子に、父親は優しく問い掛ける。
「だって、僕いっぱい、捕まえたこと…あるもん…っ。」
嗚咽が聞え始め、目は紅く染まっていく。
「可哀想…だよ…っ。」
「どうして可哀想だと思うんだ?」
顔を上げて、父親を見やった。
「ちょっとだけしか生きられないんだよ。僕だったら嫌だよ?」
一生懸命、伝えようとする将。
そんな彼に、父親は苦笑する。
優しい子だと思った。
「それは人間の時間で考えるからだよ。」
「…違う、の?」
不思議そうに問い掛ける少年は、涙を溜めたまま口を開く。
「厳密に言うと、な。」
虫取り網と籠を地面に置く。
空いた幼子の小さな手を取った。
「ヒトにとっての一生と、蝉にとっての一生。重みは同じだと思うよ。」
真っ直ぐに、息子と視線を合わせて、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。
「蝉の時計は、ヒトの時計よりもずっとずっと早いんだ。」
ヒトの1秒が、蝉にとっては1ヶ月なのかもしれない。
クルクルと動く針は、止めることなど出来ないけれど。
どこかで歯車が違えば、それはいとも簡単に崩れてしまう脆い時計だけれど。
「過ごした時間は同じだよ。」
歩んできた道を、もう一度歩き直すことなど出来ない。
蝉と違って、ヒトは間違えて、間違えて、やっとのことで選んだ道を歩いて行ける。
「本当に?」
「本当に。」
ぱぁ、と明るくなる表情。
「じゃあ、哀しくないんだ。」
哀しげに微笑むと、父親は軽く俯いた。
「哀しくないわけじゃない。だが、むしろ『ありがとう』と言うべきじゃないのかな。」
きょとんとして、問い返す。
「『ありがとう』?」
「そう。生命が生まれてきたことに対して『ありがとう』って。」
何度か瞬きして、将は尋ねた。
「…僕が生まれて来た時も、そんな風に思った?」
突然の質問に、父親は軽く目を見張る。
子どもとは何と聡いイキモノなのだろう。
何でもない台詞のはずなのに、後ろめたい気持ちになるのは、大人の業の深さだろうか。
本当の父親ではない彼を、どこかで悟ってしまったのだろうか。
だから、彼は嘘を言わなかった。
本心から頷いた。
「勿論だ。」
将は微笑んで、父親の首に抱きついた。
――――あの時はまだ、お父さんを本当のお父さんだと思っていたんだ。
ふと、そんなことを思う。
勿論、慕う気持ちに変わりはない。
彼らが両親で、兄で、本当に嬉しかった。
倖せだったからこそ、真実を織った時のショックも大きかった。
優しいヒト達だから、きっと気付かれたら悲しませる。
生まれて初めて、大きな嘘をついた自分への嫌悪感。
それは見えないところで、己を苛み続けた。
「将くん?」
梓が呼びかけると、ハッと顔を上げた。
「どうかした?」
「ううん。」
にこ、と微笑み、首を振る。
彼らの誰も、将の家の事情など織る由もない。
聞かれもしなかったし、自分から言うこともなかった。
それでいいと思った。
「しっかし、ポチのちっさい頃って、まんまやな。」
「可愛いじゃない。どっかの誰かさんと違って。」
「何や、姉御。俺のちっさい頃はそりゃあ愛らしゅうてなー。」
そんなシゲに水野が横から突っ込む。
「そんな話は聞いた憶えがないな。」
「タツボン、冷たいー。」
しくしくと泣きまねをしながら、シゲは苦情を漏らす。
もう一度木を見上げると、蝉が羽音を残して飛び去った。
「あ。」
短く、声を上げる。
その声につられるように、皆は空を見上げた。
「蝉の時計、か。」
ぽつり、と梓は口を開く。
シゲはベンチから腰をあげ、ウインクした。
「んじゃ、俺達は俺達の時計を動かそか。」
「練習再開するぞ。」
シゲに続くように、水野も腰を上げる。
集合、と水野の声がグランドに響く。
将も集まろうとすると、梓に呼び止められる。
「何?」
「将くんのお父さんって素敵なヒトだね。」
一瞬、動きを止めて彼女を見やる。
だが、すぐに破顔して頷いた。
「うん、ありがとう。」
微笑む彼の顔には、迷いはなかった。
蝉とヒト。
決して時は交わることはないけれど。
ソコにあったという事実だけで、ソレは証と成り得る。
羽化したばかりの淡い翠色の蝉が、じ、と静かに時を待っていた。
END
お礼
我儘を言った私にこんなに素敵な暑中見舞いを!!
本当にありがとうございます。
そして、こんな真夏の暑い日に頑張っている桜上水サッカー部の皆さんに冷たいスポーツドリンクをこれから届けに行ってきます。
蝉の声を聞きながら。
2002.7.30