サテライトが遠ざかってゆく。

 ヘリの中でジャックは、右腕にある今は輝きを止めた赤い痣を左手で握り締め、視線を下に向けていた。

 何も出来なかった。ただ遠くから見守ることしか出来なかった。

 すぐにでもヘリから飛び降りて、遊星の許へ行き、彼の力になりたかった。

 しかし、狭霧の言うことも理解出来てしまった。

 これからの戦いにはDホイールの存在が不可欠になっていくだろう。

 ダークシグナーのDホイーラーが鬼柳 京介だけだとは限らないのだ。

 サテライトにはクロウのブラック・バードと、壊れてしまった遊星のDホイールしかないのが現状である。

 敵も馬鹿ではない。次がスタンディングである保証もないなければ、確信もありはしないのだ。

 今、もし他の敵Dホイーラーが彼らの前に現れてもジャックには何もすることが出来ない。

 ギリ。

 奥歯を強く噛み締めると同時に腕を掴んでいる手の力を強めた。

 不甲斐無いと、強く思うばかりだ。

 今の自分に一体なにが出来る?

 ふっと、ジャックの脳裏に誰かの姿が映った。

 真っ直ぐに見詰める、黒い瞳。

 脳裏に映る姿を誰と理解した瞬間、

「狭霧、連絡端末を貸せ」

 ジャックは前に座る秘書に声をかけていた。

 その姿を見て何を思ったのか、自分自身でさえ良く解らぬままに。

 

 

 

 彗雫は雑賀の隠れ家の屋上に立っていた。

 龍可の痣の光が消えて、どのくらい時が経ったのだろうか。

 龍亞と共に龍可の痣が光るのを見て、誰かが闘っているのを知った。

 闘っているのが遊星だと、気付くのに時間はかからなかった。

 痣の光が消えて、不安に駆られていた双子を何とか安心させて眠りに付かせると、彗雫は外に出ていた。

 空に輝いていた暗い光で描かれていた巨人の姿はすでになく、シティはいつもの街並みを取り戻している。

 元通りになった街。

 しかし、彗雫の心には不安が立ち込めていた。

 痣の光が消えたと言うことは、闘いが終わったことを意味する。

 だが、それだけでは勝敗が解らないのだ。遊星が勝ったのか、敵が勝ったのか。

 龍可の赤い痣自体には何も変化がおきなかったから、遊星が負けたとは考えがたい。

 それでも、彗雫の不安は消えることがなかった。

「…遊星」

 ギュッと両手で胸の上の服を握り締めた。

 嫌な胸騒ぎがする。

 嫌な予感がする。

「約束、ちゃんと守ってくれた?」

 ビルに囲まれて見えない地平線の向こう、サテライトへ語りかける彗雫の耳に携帯電話の着信音が聞えてくる。

 彗雫は電話を取り開くと、そこには一通のメールが届いていた。

「………ッ!」

 メールを読んだ瞬間、彗雫は弾かれた様に走り出していた。

 

『シティの湾岸ヘリポートに来る  J』

 

 待っているとも、来いとも書かれていない。なんとも判断し難い一行のメール。

 しかし、彗雫の答えは決まっていた。

 

 

 

 ジャックが目的の場所に着いたとき、下にはすでに彗雫がいた。

 彼女が愛用しているDホイールがヘリのライトに当たって微かに光っている。

 爆音と爆風を周囲に与えながら、ヘリは地上に降りた。

「お前たちはそこにいろ」

 体を固定していたベルトを外しながらジャックは言うと、狭霧やカーリーが口を開く前にスッとヘリから降りて歩き出していた。

 ジャックが歩いてくるのを目視出来たのか。

 彗雫もDホイールから降り、ヘルメットを外すとジャックへと歩き出す。

 互いの姿が近くなってくる。

「ジャック」

 最初に声をかけたのは、彗雫だった。

 黒い瞳を真っ直ぐに自分を見る彗雫を見返して、ジャックは簡潔な第一声を放った。

「サテライトへ行って来た」

 彗雫の黒い目が段々と見開いていく。

 ジャックは、闘いを直に見てきたのだ。

 自らの、故郷に赴いて。

「遊星、には?」

 聞えてきた声は明らかに震えていて、彗雫自身何かしらの不安を抱え込んでいることが容易に理解できた。

 震える手を腹の位置で組み合わせ、強く握り締めた彗雫を見ながら、ジャックは静かに答える。

「会ってきた…というよりは見てきた、の方が正しいかも知れんな。ライディングデュエルで闘っていた」

「…ダーク、シグナーと?」

 今度はジャックの目が見開く。

 その姿を見て、彗雫は遊星と闘っていた相手を確信した。

 遊星は闘ったのだ。あの忌まわしい闇のゲームを。

「知っていたのか?」

 驚くジャックに彗雫はコクリと首を縦に振った。

「遊星が闘った時、一緒にいたから…。それで、遊星は? 無事なの?」

 勝敗ではなく無事を聞くあたり、彗雫は本当にダークシグナーの闘いを知っているのだろう。

 遊星の無事を聞く彗雫の言葉にジャックは先の闘いを思い出し、眉を顰めた。

 ジャックの表情に彗雫は何かあったのか悟り、握り締めている手を更に強める。

「ジャック」

「見るか?」

 ジャックが彗雫の目を見て言う。

 見る。

 ジャックが放つ言葉の意味を、彗雫は理解した。

「今のオレには、冷静にあの闘いを言葉で伝えることが出来ない。…悪い」

 あの不遜を体現しているジャックが、悪いと悔しそうに顔を歪めている。

 それほどまでに、遊星の闘いは厳しいものだったのだと、彗雫は知った。

 怖い。

 知るのが怖い。

 しかし、知りたいと思ったのもまた真実だった。

 遊星が何を思ってどう闘ったのか、知りたかった。

「ジャックが、それでいいなら」

 彗雫が頷くと、ジャックはもう一歩彗雫に近付く。

 そして、真っ直ぐに彗雫を見詰め始めた。

 ヴァイオレットの瞳は彗雫に過去を見せる。

 彗雫はジャックの目を見つめ返す。

 ジャックの目を真っ直ぐに見ているはずの彼女の視線が何か違うものを見ているように感じるのは、おそらく間違いでは無いだろう。

  彗雫が見ているのはジャックではなく、その向こうにある時なのだから。

 どれほどの時間が経ったのか。

 ジャックの顔が映りこんでいる黒い瞳に、うっすらと水の膜が張られていくのを見て、ジャックは息をのんだ。

 今にも零れ落ちそうなほど厚くなっていく水の膜。

 しかし、瞳に張られた膜はいつまで経っても流れ落ちることは無かった。

 ふと、ジャックが彗雫の手を見る。

 彼女の腹の辺りにあった手は胸元に上がり、互い指はますます硬く握り締められていた。

 決して泣くものかと、耐えているのだ。

 目の前にその瞬間を実際目にした人を前に泣くことなど出来ないと、彗雫が頑なに思っているだろう事を、ジャックは理解した。

 ジャックはそっと右手を彗雫の目にかざした。

 視界が暗くなったことに驚いたのか彗雫の手がビクリと震える。

「ジャック…?」

 小さく名を呼ぶ声に、ジャックは静かな口調で声をかけた。

「ここには誰もいない。お前だけだ」

 突き放したような、淡々とした声。

 しかし、その中には確かに彗雫への気遣いが隠れている。

 変わりづらいジャックに優しさに、彗雫が薄く笑うと。

 何かが頬をつたって行った。

「………うそつき」

 ジャックの掌に濡れた感覚が伝わってくる。

 そして、小さな震える声も。

「怪我しないって、約束したじゃない…」

 頬と手に伝わる水は量を増していく。

「無理しないでって、言ったじゃない…。―――遊星!!」

 掠れる小さな声で悲痛に叫ぶ、その名を聴いた時。

 ジャックは自分のしていることをようやく自覚し、愕然とした。

 瞬間、空いている左手で彗雫の頭の後ろを触ると、ジャックは自分の方に彼女を引き寄せた。

 体に触れるか触れないかの、微妙な距離で彗雫が止まる。

「すまない」

 ジャックは今、彼女に自分が持っている苦しみを与えてしまったのだ。

 同じ気持ちを持つことが出来るだろう彗雫に、ジャックは解ってもらおうとしていた。

 遠くから見守ることしか出来なかった、何も出来なかった苦しみを。

 同じく、遠くから見守っていた彼女に。

 苦しみを共有することで、自分の苦しみを軽くしようとしていたのだ。

 それを理解して、ジャックは自分を恥じた。

 これは自分だけの気持ちであり、他の誰にも渡してはならないものだった。

 どんな苦しみでも、自分の中で力に変えるこそが大切だと言うのに。

 それなのに、己自身の無力さを他者に明け渡して軽くしようなどと。

 上に立つ者として、何たる失態。

「すまない…」

 やるせない気持ちが全身を駆け巡る。

 彗雫の頭を支えているジャックの手に力が入るのを、彼女は感じていた。

 そして、ジャックの気持ちも。

 ジャックの苦しさと無力さを、他者である彗雫に与えてしまったことへの後悔を。

 それは自分の気持ちを軽くする為か。

 それとも、大丈夫と言って欲しかったのか。

 どちらかは解らないがそれでも普段の彼なら絶対にしないことを無意識に行なってしまうほど、ジャックは悔しかったのだろう。

「ジャック」

 彗雫がジャックの名を呼んだ。

「貴方の腕にある痣は、遊星の鼓動を感じてる?」

 ジャックは彗雫の目を覆っている自分の手の腕を見た。

 服の下にある赤い痣は、今はただ沈黙を続けている。

 しかし意識をその痣に向ければ。微かだが、はっきりと感じる。

 遊星の、鼓動を。

「―――ああ」

 ジャックが静かに答えると、彗雫は目を覆っているジャックの手にそっと触れた。

 静かにジャックの手を下ろした彗雫の表情は、微笑んでいた。

「なら、大丈夫。遊星はきっと助かるわ」

 涙で潤んだ赤い目で笑う彗雫。

「…確証があるのか?」

 頬に流れていた涙の痕を痛ましく思い目を細めるジャックを見ても、彗雫の笑みは消えない。

「あんまり自信は無いけど…。でも、あたしは遊星を信じてるし、その遊星を信じてるあたしを信じてる。

相手を信じると同じくらいに、自分も信じる。その信じる心が絆、なんじゃない?」

 彗雫の言葉にジャックは息を飲んだ。

 驚いているジャックを見つつ、彗雫は彼の痣のある部分に手を置いた。

「ねえジャック」

 彗雫は先程よりも、より笑みを深くする。

「苦しい事とか悲しい事とか…そういうのを全部自分の中に閉じ込めて力にするのは、悪くないと思う。

でも、どうしても辛い時は誰かに渡しても、悪くないと思うわよ」

「彗雫…お前」

 彗雫の頭の後ろに置いていたジャックの手が、するりと落ちて離れる。

 それを感じながら、彗雫は言葉を続けていく。

「気持ちを共有するに値する人がいる。それも絆があるから出来ることじゃない。信頼しているからこそ出来ること」

 ジャックの片手は彗雫を離れたが、痣を持つ手は未だに彼女の手の下にある。

 彗雫は次に苦笑を浮かべた。

「ジャックも遊星も、皆に心配かけたくないとか色々思って、全部自分で背負っちゃう所があるでしょ…。

だからこうやってきてくれたの、凄く嬉しいよ。頼りにしてる、そう思ってくれてる証拠だもん。

ありがとう、来てくれて」

 ジャックは口を開こうとして、止める。

 言葉で表すのは、どうしても照れ臭かった。

 なので、行動で行動で現す事にした。

 ジャックは右手を上げると、彗雫の頭を撫でた。

 最初は驚いていた彗雫だったが、すぐにクスクスと声を立てて笑い出した。

 ひとしきり笑い終えると、彗雫はジャックから離れる。

「あたしたちには、やるべき事がある…遊星にも。まだ終わってない。

ジャックだってやるべきことがあるから、ここに帰ってきたんでしょ?」

 ジャックを見上げて小首を傾げる彗雫を見て、彼は頷いた。

「ああ…そうだ」

 頷いて、彗雫を見るジャックの顔はいつもの彼のものだった。

「なら、落ち込んだ後はきちんと進まないとね」

 彗雫は嬉しそうに頬を緩ませた。

「気を付けて」

 それが別れの挨拶だと、ジャックは知っている。

 しかし、辛気臭いのは性に合わない。

自分も、目の前にいる彼女も。

「ふん、オレを誰だと思ってる」

 不遜な態度が戻りつつあるジャックに、彗雫はニッと口の端を上げた。

「ジャックでしょ? 遊星みたいに怪我したら許さないんだから!」

「肝に銘じておく」

 笑う彗雫を一瞥して、ジャックは踵を返す。

 白いコートが夜にはためいていくのを、彗雫はずっと見送っていた。

 ヘリが地上を離れ、本来行くべき所へ向かい姿を消すまで、ずっと。

「本当に、ありがとう。…あたしを選んで来てくれて」

 喜びもだが苦しみや悲しみも、共有することで時に意味を持つ事があるのだ。

 絆が無ければ不可能なその共有に自分を選んでくれたジャックが消えていった方向に向けて。

 彗雫は微笑んで見せた。

 いつか、他の誰かと気持ちの共有がまた出来ることを願って。

 その気持ちが、今度は喜びであることを祈って。

 

 

 

 

 

 

Fin


あとがき

ジャックがちょっと弱々しくなっちまったいι

先週の遊星の事故(痛い)をジャックが見ていたので、その帰らざる終えなかった理由を書きたかったのが一つ。

そしてジャックがシティに帰ってくるから、サテライトに行かなかった彗雫に遊星のことを知らせることが出来ると思った瞬間。

ジャックの過去を見て思わず泣きそうになる彗雫に、目隠しをするジャック、泣く彗雫をおもわず体に引き寄せるジャック。

と言うのが浮かんできまして、これは書かなくては!と思い書いてみたんだけど。

…ジャックが弱々しいと言うか、ジャックじゃないじゃんよみたいな(笑)

自分の持っている苦しさを誰かに吐き出して楽になりたいって言う気持ちは誰にでもあると思うんですよ。

同じ気持ちを持っていそうな人が近くにいたら尚更。

でもそれは下手をすれば自分の苦しさを相手に与えてしまうと言う諸刃の剣なワケで。

ジャックは他人に弱みなんて見せるのずんごい嫌いだと思うんだけど、あまりに遊星のことがショックだったから無意識にそれをやってしまって、

彗雫が泣いて自覚したって感じです。

だから余計に自分自身に愕然として、自分に怒りと確りしろと言っているので…フォローは出来てるはず(おい)

遊星は仲間が一緒にいて(特にクロウは一緒に覚悟決めてBADまで行ってくれたし)色んなものを共有してくれたけど…。

ジャックにはそれが出来そうな人がいなかったから(狭霧さんやカーリーだと虚勢張りそうでι)、彗雫に出てきてもらいました。

…物語上ジャックの役目はシティに帰る事だったけど、もしあそこで遊星の所に行っていたら、また違ったのかなぁ?

 

 

 

…後でおまけとか加筆修正するかもしれない(爆)

2008.12.2

 

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