―不動 遊星の場合―

 

 

 

 修理屋の仕事を終え、帰ってきた遊星は目を丸めた。

 居住スペースのソファに彗雫が座っていたのだ。

「あ。遊星お帰り」

 お邪魔してるわよ。

 遊星の足音に気づいたのか、彗雫は遊星の方に顔を向けてにこりと笑い、遊星を迎えた。

 彗雫の笑顔を見て、遊星も表情を和らげる。

「ただいま。ブルーノはどうしたんだ?」

 自分が出かけるときはブルーノがいたはずだ。

 それなのに、まるでブルーノと入れ違うように彗雫がいる。

 どういう事だを首を傾げる遊星に、彗雫は苦笑を浮かべて口を開いた。

「何か思いついたみたいよ。あたしが来たとき、ものすごい笑顔でこっちに近寄ってきて…」

 

『彗雫、悪いけど留守番頼んでいい!?』

『え?』

『良いアイディアひらめいたんだ! 忘れないうちにメモ書いてパーツ買いに行きたいんだ! お願い!!』

 

「ってことがあったの。ものすごい良い笑顔だったから、ダメって言えなくて。まあもともとあたしはいるつもりだったし、別に良かったから留守番してるわけ」

「そうだったのか…それは?」

 納得した遊星の視界にとある物が映る。

 彗雫の手の中に収まっている、マグカップだ。

「ああ、これ?」

 遊星の視線に気づいて彗雫は手の中にあるマグカップに視線だけを向けた。

「迷惑かけるからって、出かける前にブルーノが作ってくれたの」

「そうか。…オレはこれからエンジンの調整に入るが…」

「おかまいなく。ここでこれ飲んで待ってるから」

 退屈しないだろうかと言う遊星の気持ちを察したのか、マグカップを軽く持ち上げて笑う彗雫。

 大丈夫だと言われて、遊星は小さい笑みを浮かべた。

「すまないな」

「あたしの方こそ、押し掛けてきたようなものだしね。気にしないで」

 彗雫の言葉に遊星は素直に頷いて、コンピュータが置かれているデスクに座り作業に入る。

 カタカタとキーボードを打つ音の中に、息を吹きかける音が時折聞こえてくる。

(…妙だな)

 ふと、遊星は首を傾げた。

 先ほどから、息を吹きかける音しかしないのだ。

 どう言うことだと、気になった遊星は首を後ろに回して彗雫を見る。

 彗雫はマグの中身にに息を吹きかけているだけだった。

 中身を飲んでいる様子がいっこうにない。

「飲まないのか?」

 遊星はキーボードを打つ手を休めて椅子を回し体ごと彗雫の方を向いて問いかけた。

 作業に集中しているものと思っていた彗雫は弾かれたように遊星の方を向くと、困ったように笑った。

「熱くって…」

 彗雫の手にあるマグカップは湯気を上らせている。

 ブルーノが一体いつ入れたかは解らないが、それでもそろそろ冷めて良い頃合いなはずだ。

 それなのに未だに熱そうに見えるというのは相当熱いと言うことだろう。

「……ああ」

 苦笑を浮かべる彗雫の言葉に遊星は思わず納得した。

 彗雫は猫舌だ。

 熱い物は飲んだり食べたりすることができない。

「ブルーノには教えてなかったから知らなかったのよ。だからしょうがないんだけどね」

 遊星と彗雫はそれなりの付き合いがあり彗雫の猫舌も知っていたが、最近ここにやってきたブルーノはまだまだ付き合いが浅いため彗雫が猫舌なのは知らないのもしょうがない。

 マグを両手で包み込み、彗雫は笑う。

「そのうち冷めるだろうし、それまで待ってるわ。ほら、遊星はあたしに気にせず作業作業」

「そうだな」

 彗雫に促され、遊星はパソコンへと体を向き直してキーボードを再び打ち始める。

 作業を再開して数分。

 ふと、彗雫はマグの中身を飲めたのだろうかと気になり遊星は後ろにいる彗雫の気配を探る。

 彗雫はまだマグに口を付けないようだ。

 未だに息を吹きかけている。

(まだ飲めないのか…)

 一体どれほど熱いのだろう。

 降って湧いてきた好奇心に駆られ、遊星は腰を上げた。

「まだ熱いのか?」

「えっ……あ!」

 急に立ち上がった遊星に驚きを隠せない彗雫に近づき、遊星は彼女からマグを取り、口を付けた。

「遊星!?」

 彗雫が止めるように声を高く上げた瞬間。

「…ッ!」

 遊星は音にならない悲鳴を上げマグから口を離し、手で口を覆う。

 ほぼ反射的といっても過言ではないほどの早さで行われた遊星の行動に、彗雫も黙ってしまった。

 天使が横切ること数秒。

「大丈夫?」

 我に返った彗雫がおそるおそる声をかける。

「………ああ」

 心配そうに自分を見る彗雫に遊星は小さく頷く事しかできなかった。

「だから熱いって言ったのに…」

 下手をすれば溜息を吐きそうなくらいに呆れた彗雫の声がする。

 確かに彗雫は熱いと言っていた。

 しかもかなりの時間をかけて冷ましていた。

「すまない」

 迂闊だったと心なししょんぼりしながら遊星は謝る。

 好奇心に負けて飲んだのだから、しょうがない。

「遊星も猫舌なんだから、気を付けなくちゃ」

 彗雫の言うとおり、遊星も熱いモノが苦手である。

 猫舌同士、熱いモノを平気で口に入れるジャックを見ては羨ましいという気持ちをお互い露呈したのも一度や二度ではない。

「水持ってくる?」

 未だに手を口に当てて喋る遊星を見て重傷と取ったのか、彗雫は小首を傾げて遊星に問いかける。

 遊星は首を横に振った。

「大丈夫だ。自分で持って来る」

 キッチンはすぐ近くにあるし、歩けないわけではない。

 遊星はマグカップを彗雫に差し出す。

 彗雫は両手でそれを受け取るのを見て、遊星はシンクへと歩き出した。

 少し早足なのは、しかたのない事だろう。

 遊星の背中を見てから、彗雫は手に戻ってきたマグを見る。

 相変わらずマグカップの中身は湯気をくゆらせている。

 一体どれだけの温度で入れたのかと彗雫は心の中でブルーノに問いかけつつ、こうも思っていた。

 もしかしたら、遊星の方が酷いかもしれない。

 

 

 猫舌。

 

 

 

Fin

 

 

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あとがき

遊星は彗雫同様猫舌。

しかも微妙に彗雫よりも酷い感じにしてみました。

遊星は猫舌のイメージです。暖めたは良い物の食べれずにしばらくかかりそうな姿が容易に想像できるので(おい)

 

2011/3/29