「変な桜見つけた」

金晴眼きんめの美しい幼子が、そんな事をポツリと言った。

 

 

 

Prunus Pendula

 

 

 

「あー、これですか…」

 一本の桜を見上げながら、目の上に手を掲げ陽光を遮りつつ、天蓬はのんびりと言った。

 観音の城から少し離れた場所にある桜の森。

 散る事無く薄紅を翻している木々の中ひとつだけ、周りのモノとは違う桜があった。

「枝垂桜だな」

 天蓬の隣りに立つ捲廉も悟空が見つけた桜を見上げている。

 コチラは片手はポケットに、もう片手には何かを包んだ風呂敷が握られている。

 形からして、どうやら重箱のようだ。

「枝垂桜?」

 天蓬たちをここまで連れてきた悟空はキョトンと天蓬と捲廉を見やると、先ほど見つけてきた桜を見上げる。

 周りに咲く桜とは違う、少し色の濃い花びら。

 花びらとそれを支える枝々は真っ直ぐに天の向かうのではなく、悟空の目の前に枝を下ろしていた。

 項垂れる桜。

 その姿は、滝の様でもある。

「全く、変な桜を見つけたとか言いやがって…枝垂桜じゃねぇか…」

「まあまあ…」

 眉間の皺を寄せながら桜を見上げる悟空を睨む金蝉と、その彼を微苦笑を浮かべて宥めている太真。

「悟空、枝垂桜を見るのは初めてなんですか?」

 慰めるように金蝉の二の腕を優しく叩いてから、太真は悟空に声をかけた。

 悟空は太真の声を耳に入れると、彼女に振り返り、満面の笑顔を浮かべた。

「うん! 初めて見た!! これ、枝垂桜って言うんだな!」

 ぱぁっと顔を輝かせる悟空の笑顔につられるように、太真も微苦笑からふわりとした柔らかい笑顔を返す。

「ええ。枝が周りのモノと違って垂れているでしょう? 枝が垂れている桜と書いて枝垂桜と読むんです」

「枝が何故垂れているかという話には色々な見解があるみたいですが、まあ今日はそういう難しい事は置いといて…」

 太真の言葉を引き継ぐように天蓬が言葉を発したが、すぐに彼は隣の捲廉を見詰めた。

 にこりと笑う天蓬の意図に気付いたのか、捲廉は頭を掻きながら枝垂桜へと向かい始めた。

「ヘイヘイ解ってますよ。悟空手伝え、花見の準備するぞ」

 花見、という言葉に悟空は一瞬目を丸めると、しかし捲廉が持ち上げた重箱型の風呂敷を見るなり。

「わかったー!」

 大層嬉しそうに捲廉の後を走って追ったのだった。

 元気良く走り出した幼子を見て、天蓬と太真は微笑ましいと笑い合い。

 金蝉はこめかみに指の先を当てていた。

 

 自分がよく知っている桜の花びらとは、色もだがどうやら形も違うようだ。

 悟空は目の前に落ちて来ている枝に咲く花に目を奪われている。

 木に登らなくても、背伸びをしなくても届く花びらに悟空はそっと触れた。

「悟空」

 背中に声がかかる。

 振り向けば、桜の根元に金蝉たちが座って悟空を呼んでいた。

 悟空は花から手を離し、金蝉たちの方へと歩き出していた。

 準備は、すっかり整っているらしい。

 捲廉の持っていた風呂敷は開かれ、中には見事は漆塗りの重箱。

 太真が蓋を開け、重なっている箱を分けていた。

 重箱の中には当然、旬の食べ物を使った料理が入っている。

「うっわースゲェ!」

 美味しそうな食べ物に悟空は目を輝かせると、

「食べて良い!?」

 太真に向かって期待に満ちた目を向ける。

 キラキラとした金目を見て、悟空の相変わらずな食欲に太真は何を言うでもなく、コクリと頷いた。

「どうぞ」

「ありがとう! いただきまーす!」

 太真の隣に座り悟空は料理に手を付けた。

 それが合図だったのか、他の面々も料理を口に入れはじめる。

「うめー!」

「手じゃなくて箸を使え、バカ猿」

「美味しいですねぇ、太真が作ったんですか?」

「いえ、まだこれだけの物は作れなくて、厨房で頼んできたんです。でもおやつは作ってきましたので、余裕があったらあとで召し上がってください」

「マジで!? ありがとう太姉ちゃん!」

「悟空! 口にモノ詰めたまんま喋るな、飛ぶ!」

 賑やかに騒がしく花見は続く。

 太真が作ってきた菓子を食べ終えた頃、天蓬が持って来たのか湯飲みが回ってきた。

 なみなみと注がれている緑茶を啜りながら、金蝉はふと視線を上にあげて辺りを見渡した。

 薄紅の滝は幹を中心に広がり、枝と花びらが垂れているせいか視界も悪い。

 おそらく桜の外側から誰かが自分たちを見ても、はっきりとその姿は見えないだろう。

 自分たちもまた外の風景をしっかりと見ることは出来ない。

 まるで薄紅の檻の中にいるかのようだ。

 柔らかく、鍵のかからない、それでいて強固な美しい檻。

 しかし、形は違えども、やはり桜であることには変わりは無いらしい。

 風が吹いた時、ひらりと花が飛んでいった。

 さわさわと、枝が揺れる。

「良い天気ですね」

 天蓬が桜を見上げながらのんびりと言えば、捲廉が大きく頷いていた。

「だな」

「そういえば、捲廉様」

 太真が捲廉の名前を呼ぶと、彼は太真の方を向く。

「ん?」

 どうしたと首を傾げれば、太真は目を細めて笑った。

「重箱、持っていただいてありがとうございました」

 ぺこりと頭を下げる彼女に捲廉は苦笑いをしながらヒラヒラと手を振った。

「ああ、良いって。アレ結構重そうだったし、よくあそこまで持ってこれたよな」

 感心したように頷く捲廉に対し、太真は恥ずかしそうに薄く頬を染めて笑う。

「本当はあそこまで重くなるなんて思っていなかったんですけど…」

「今気付いた! 太姉ちゃんはどうして、重箱持って来たの?」

 悟空が小首を傾げて聞いてきた。

 今日は出かける予定も無く、たまたま外で遊んでいた悟空が枝垂桜を見つけて。

 見たことも無い桜だったからなんだろうと、金蝉に聞きに戻った時には何時もの面子が揃っていた。

 どうしたんだろうと思いつつ、嫌な雰囲気ではなかったから変な桜を見つけたと口に出していたのだが。

 一体何故?

 くるりと目を太真に向ければ、女神はくすっと笑う。

「天気も良いですし、皆さんと少し遠出でも…と思って。

今日は比較的落ち着いてましたからお声をかけても大丈夫だろうと、天女たちの頼んで準備してもらったんです」

「で、重い重箱を持って金蝉の所に向かっていた太真と、暇だったし金蝉の所に行こうとしていた僕たちが丁度鉢合わせまして」

「で、俺が重箱持って来たってワケ」

 天蓬と捲廉が答える。

「…なんでお前なんだ?」

 金蝉が目だけを捲廉に向けると、彼はジャンケンと簡単に答えた。

「どっちが持つかをジャンケンで決めたんですよ」

 あんまり長引かせると太真に悪かったですしね、と言う天蓬の顔はやけに光り輝いていたのを見て、

「……負けたのか」

 金蝉がポツリと真実を言えば。

「それは言わないお約束」

 捲廉はあえて金蝉から視線をそらして肯定を示していた。

 何時もながらの彼らの姿を見て太真は楽しげに口の端を上げると、頭上に咲く花を見上げる。

「悟空のお陰で良いお花見が出来ましたわね」

 いつも見ている桜も枝垂桜も。

 目の前の幼子が見つけてきたモノだというだけで、こんなにも在り方が変わる。

 平凡な日常が柔らかく色付く。

「ありがとう、悟空」

 桜から目を離し太真が悟空を見れば、

「えへへ、どういたしまして」

 嬉しそうに鼻を掻いていた。

 照れ臭そうに笑う悟空を太真だけではない、金蝉たちも穏やかな表情で見ていると。

 捲廉がパンッ、と自分の膝を叩いた。

「よっし、じゃあ今度はここで夜桜だな」

 何の気負いも無くただ何気なく次の花見を口にする。

「今度はお酒を持って、ですね」

 捲廉の提案に異を唱えずすんなりと頷く天蓬。

「悟空は未成年ですから、お茶も忘れないようにしないといけませんわね」

 太真も次の花見の話に加わる。

「お前らな…」

 金蝉は溜め息を吐きそうになるのをグッと堪えた。

 隣にいる幼子の目がキラキラ光っていたから。

「いつになるか解らないぞ?」

 紫の目だけを悟空に向けて聞くと、

「いいよ。今日楽しかったのに、またすぐに楽しい事があったら…それはそれで楽しいけれど、でもちょっと待った方がずっと楽しいに決まってる」

 だから、待ってる。

 笑う悟空に金蝉はそうかと幼子の頭をワシワシと撫でれば、太真たちに向かって一言。

「つまみも忘れんな」

 太真と天蓬と捲廉は互いに顔を見合わせるとニヤリと笑った。

「心配すんなって」

「準備は怠りませんよ」

「またお菓子を作ってきますわ。悟空何か食べたいモノは?」

「えっとね…」

「お前は少し食べる量を減らせ」

 笑い声と溜め息と。

 微かな振動さえも感じているのか。

 彼らを包む枝垂桜は。

 ゆらりと微かに揺れていた。

 

 

 

 

 

 

Fin


あとがき

Prunus Pendula、読んでいただいてありがとうございます。

外伝はどうしても物寂しくなってしまう傾向が強いので、何とかそれを回避したかったんですが…。

上手くいっているのかいないのか?

外伝には何回か桜の描写がありますが、枝垂桜を見た記憶が無いのでちょっとやってみました。

多分あるとは思うんですけどね。

外伝=桜のイメージが根付いているせいか、結構桜の話を書いててビックリ。

最初に考えてたの昔書いたネタと被ってたι

…どんだけ根付いてるんだ、おい(遠い目)

 

『Prunus Pendula』と言うのは枝垂桜の学名です。

 

2008.4.18

 

 

 

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