三蔵は眉間に皺を寄せた。
なぜなら、出かける前にはなかったものが、目の前にあったのだ。
「おい、なんだこれは」
険しい視線で三蔵が見つめるのは、自分の机の上。
にある壺だった。
所用で少し部屋を離れている間に置かれていた壺は、どん! と三蔵の机の上を占拠していた。
―――どんと机を占拠している、と言うのは三蔵の心理的表現であり、実際の壺の大きさは子供が両手で持って少し余るくらいの大きさである。
三蔵は険しい視線を壺から目を離し、方向を変える。
壺の隣に立つ、青い髪へと。
青い髪――静夜は三蔵を目が合う。
彼のかなり機嫌が悪そうだ。こめかみに青筋まで立っている。
まあ、当然だろう。
しかし、不機嫌な三蔵法師を今まで嫌と言うほど見てきて、それが彼のデフォルトでもあると知っている彼女は三蔵の目を見て口を開いた。
「なにって…壺だよ」
「んなもんは見りゃ解る」
なんでこんなものがあるんだと、言葉の外で問いかけてくるのを感じて静夜は簡潔に答える事にした。
「『仕事』の報酬のおまけ。一人で食べきるのはちょっと無理だと思ってさ」
「――――食べきる?」
「うん」
こくりと頷いた静夜を見てから、もう一度三蔵は壺を見る。
どうやらあの中にはなにかしらの食べ物が入っているようだ。
(なるほど、そう言うことか…)
三蔵の傍には万年欠食童子がいる。食べ物があるに困る事はないのだ。
そんな欠食童子は今、何の因果か繋がりができてしまった男二人の元へと一人遊びに出かけている。
険しかった視線はかすかに落ち着きを取り戻しつつ、三蔵は机に向かって足を進め始めた。
そして、壺が手に届く範囲までやってくると足を止め、壺に手を伸ばした。
壺の蓋を開けると、視界に彩が広がる。
壺の中見は、飴だった。
一個一個がセロファンで保護されている飴の集まりが壺一杯に敷き詰められている。
確かにこれは一人で食べるのは無理だろう。
三蔵は静夜に視線をやると、彼女は決まり悪そうに笑っていた。
勝手に持ってきて悪かったと笑う静夜を見て、三蔵は息を吐いた。
(…ったくしょうがねぇ)
需要と供給が一致してしまった以上、何も言う気が起きない。
悟空が帰ってきたら押し付けてしまおう。
そう考えながら三蔵はもう一度壺の中を見る。
様々な色で作られている飴の群。
ふと、その中に違和感を感じた。
(なんだ?)
三蔵は違和感の感じる場所へと指を伸ばし、それをつまんだ。
指先で掴まれたのは、薄く黄色身を帯びた飴。
檸檬かと思ったが、明らかに違う。
鮮やかな檸檬の黄色は違いどこか深い黄色。
光の加減で金色に見えたそれに何を思ったか、三蔵はその飴のセロファンを外して、口へと運んだ。
その行動に驚いたのは静夜だった。
三蔵が甘いものを食べると言うのは決して珍しい光景ではない。
しかし、問題があった。
彼が食べようとしている飴である。
あの色は確か…。
「三蔵それ!」
静夜が慌てて止めるも、飴は三蔵の口の中へ。
ころんと飴が三蔵の舌の上に転がった瞬間。
三蔵の表情が変わった。
一言でその表情を表すとしたら…微妙。
それ以外に表現の仕様がない。
柳眉が眉間により皺が出来る。
いつもの比ではない程の深い皺を見て、静夜はあーあと片手で頭を抱えた。
「――――――――――おい」
「なに?」
しばしの沈黙の後、三蔵が声を出した。
「なんだこれは」
微妙な三蔵の表情は変わらない。
やっぱり駄目だったかと、静夜は心の中で天を仰ぎ見ながら三蔵の言葉に答える事にした。
「蜂蜜薄荷」
「……あ?」
「蜂蜜と薄荷の飴だってさ」
静夜の答えに三蔵は苦虫を噛んだような表情を浮かべる。
薄荷独特の清涼感が苦手な人のために蜂蜜の味で緩和させようと言う発想なのだろう。
しかし、双方の独特の味が混ざり合い、悪い意味でなんとも言えない味になっている。
眉間に皺を寄せたまま三蔵は口を動かそうともしなかった。
噛み砕くと言う気さえ起こさないほどの味だ。
しかし、ただ吐き出すと言うのも何か負けた気がして気に食わない。
どうしたものか。
三蔵は思考を巡らせ、目の前にいる静夜へと顔を向けた。
三蔵の表情がかなり険しいのか、普段そうそうと見れない心配そうな感情が瑠璃の眼に宿っている。
ふっと、悪戯心が過ぎったのは何の因果か。
「静夜」
「なに……ッ!」
静夜は応え終わる前に強い力に引っ張られていた。
三蔵は手首を掴んで静夜を引き寄せる。
いきなりの事に混乱している静夜が我を取り戻す前に素早く彼女の腰にもう片方の腕を回す。
混乱している静夜の目の前に紫の光が迫った。
かこんと何かが固い物に当たる音と、
静夜は暫く目を瞬かせていたが、目の前にある紫の眼に自分の姿が映っているの見て。
そして舌の上に広がった味を感じて。
静夜は眉を顰めた。
「―――――微妙…つか、マズ」
三蔵は静夜から手を離すと煙草を取り出し火を点けた。
口直しと言わんばかりに煙草を吸うと、未だに微妙な表情を浮かべている静夜を見やる。
その表情は先ほど三蔵が浮かべていたものと全く持ってい同じものだった。
否、彼よりも酷い表情だ。
「凄い顔だな」
「薄荷は嫌いなんだよ」
嫌そうに顔を歪ませて静夜は憮然とした表情を浮かべる。
「三蔵か悟空なら食えるかなって思ったんだけど…。アンタも薄荷苦手なんだな」
「俺は嫌いじゃないぞ」
煙草の煙を吐き出しつつ言うと、静夜は怪訝な顔をした。
「嘘付け、だったらなんであんな微妙な顔したんだよ」
「両方の味が悪い意味で混じって微妙だったんだよ。ちなみに…」
静夜の言葉にあっさりと答え、三蔵はもう一度煙草を吸い、吐く。
「悟空は薄荷の味が苦手だ」
「マジ!?」
驚愕の事実を耳にして、静夜は口の中にある飴の存在を一瞬忘れた。
あの、何を食べても嬉しそうに美味しそうに食べる、あの悟空に食べれないものがあるとは…。
夢にも思わなかった。
眼を丸める静夜を横目に三蔵は煙草をもう一度吸う。
「食える事は食えるが、どうにも刺激物が駄目みたいだな」
「……ホントに野生動物だな」
悟空の意外な嗜好を知り、静夜は関心と呆れを少し混ぜたような苦笑いを浮かべる。
それと同時に口の中にあった物を思い出して、顔を顰める。
噛み砕いてやろうかとも思ったが、それよりももっと簡単は方法があると思い直し、静夜は三蔵に近付く。
煙草を吸い終え吸殻を灰皿へと捨てたのを見計らい、静夜は三蔵の法衣に手を伸ばす。
法衣の襟を掴み引っ張ろうとしたが、三蔵は寸での所で押し留まる。
しかし静夜の手の力も弱まる事はなく、片手でもう片方の襟を掴み、更に強く引っ張る。
額と額がぶつかる。
「……テメェ、なにしやがる」
腹に響くような低い声が出た。
静夜のやろうとしている事が解り、三蔵のこめかみに青筋が走る。
表情も険しいものとなり、一般の人間が見たら裸足で逃げ出すだろう迫力である。
だが、静夜にはそんな男の表情などどこ吹く風だ。
「テメェで取って食ったんだから最後まで責任持て」
「断る」
「ふざけんな」
「ふざけてんのはテメェだろうが! さっさと噛み砕いちまえ!」
「薄荷嫌いだっつってんだろ!!」
「俺にそんな微妙な物を食わせようってのか!」
「うっせ! アンタは薄荷嫌いじゃないんだろ!?」
「その味は嫌いなんだよ!」
額を合わせ、紫と瑠璃の眼が近距離で絡み合う。
互いを鋭く睨み合い、喧々囂々とした言葉の応酬が繰り返される。
蜂蜜薄荷を巡る攻防は暫く続きそうであった。
蜂蜜薄荷の憂鬱
あとがき
最初に浮かんだのが、微妙な味の飴を食べた三蔵が静夜に食べさせると言うもの。
口移し!
しかし、全然色気もなんもないな!(爆)
最後なんてガチのケンカが始まりそうだし(笑)
蜂蜜と薄荷の飴を食べた事がないので味は想像です。
本当にあったら美味しいかもですが、この話では微妙な味と言う事で。
悟空の刺激物嫌いは昔どこかで読んだ記憶がある程度のおぼろげな情報なので、本当かどうかは解らないんですよね;
しかし飴食べたまま良く喋れるなぁ二人とも(オイ)
2011/10/16