花乙女
雫が水面に落ちる音が響く。
白い木々が、波一つ立てない泉を囲み。
泉のほとりには、白い巻貝の神殿がある。
青い、静寂の地。
静けさが、聞こえぬ音を立てて鼓膜を揺らすのを感じながら。
ナディアは一人、立っていた。
手に、淡いピンクの花を咲かす枝を持って。
ナディアは巻貝の神殿の入り口まで歩き、その近くにたたずむ泉の縁で立ち止まった。
時刻は夜。
神殿の中にある水の祭壇は、今も淡く光りながらこの地を見守っているのだろう。
あれから何年も経っているはずなのに。
今でもそこまで一人で行く勇気が無い。
星を、大切なものを守るために戦ったあの旅の中で入れたのは、一人ではなかったからだ。
一人では色々思い出して、入ることが出来ない。
だから、今もこの泉のほとりに立つ。
「お久しぶりです」
静寂の中、声が広がる。
ナディアは泉を見つめながら、言葉を泉にかける。
「珍しいって思ってますか? 何時もは皆と一緒に来るのに」
年に一度。
かつての仲間たちは皆で集まり、この地に来る。
いつ来るかは、しっかりと決めていない。
各々の都合で集まり、行こうかという話になり、この地に立つ。
時期を決めないのは、忘れたくないからなのかもしれない。
彼女はいつだって、自分たちの近くにいてくれることを。
「今日はちょっと素敵なモノを見つけてきたんです」
そっとナディアは微笑んだ。
「どうしても、貴女に見せたくて」
腕に抱えていたピンクの花をナディアは泉に差し出した。
「綺麗でしょう? ウータイで見つけたんです」
ウータイで催されるイベントに呼ばれた時、初めて目にした花。
満開に、所狭しと咲き誇る花。
「桜っていう花らしいですよ」
白にも見える淡いピンクの花。
「このピンク色の花を見て、思わず思い出しちゃいました」
その花を見たとき、脳裏に浮かんだ懐かしい友の姿。
「貴女に、凄くよく似てると思いません? エアリス」
目を細め、桜を見つめる。
「綺麗なピンク色でちょっと控えめな色のはずなのに、花がとても沢山で賑やかで、ついつい目が向いてしまう。
見る人を素敵な気持ちにさせてしまって…」
もう一度、泉に目を戻す。
「どことなく、切ない気分にさせてしまう…。まあ、これは私の勝手な感傷なんですが」
困ったように苦笑を浮かべ、誰もいない場所で言い訳をする。
「とっても素敵な花だったので、ユフィに無理を言って貰ってきたんです。
あのときのユフィの困って慌てた顔顔、エアリスにも見せたいくらいでしたよ」
イベントでの出番を終えて、もう一度近くで見たいと思い近付いてみて。
やはりとても綺麗で、見せたいと思った。
だから、ユフィに頼み込んで別けてきてもらった、桜の枝。
「世界中、色々旅をしてきたけれど。まだまだ広いですね。知らないことがたくさんあります」
何回もウータイに行ったのに、桜に出会ったのは今年は初めて。
咲くタイミングと合ったんだと、ユフィは言っていたが、そのタイミングでウータイに来れた事を、ナディアは感謝していた。
「星に還るまでにどれだけのたくさんの事を知る事が出来るか、私自身解りませんけど…でも知って生きたいです。そして」
桜の枝をギュッと抱きしめて、ナディアは微笑んだ。
「エアリスにも見せたいなって」
一歩、ナディアは足を進めると腰を下ろし。
泉の水面に丁寧に桜を置いた。
ゆっくりと、静かに。
桜は泉の中へと沈んでいった。
泉の奥底へと姿を消していく桜を見つめていたナディアは、何かを思い出したのか目を丸めた。
「あ、でもエアリスは私よりも世界中をたくさん回れるんですよね? うーん、もしかして、桜、知ってましたか?」
当然、答えが返ってくる事は無いが、一瞬、ナディアの声しか音の無かった世界に風の音が吹いてきた。
風の中に、ふと、懐かしい声が聞えてきたような気がして。
ナディアの表情が和らぐ。
「そうですね、こうしてエアリスと一緒に桜が見れたんですから。それで十分なんですよね」
下ろしていた腰を上げて、ナディアは立ち上がる。
「また、運が良かったら持ってきます。今度は……水の祭壇に」
柔らかく、意思強く目を輝かせナディアが希望を口にし、微笑んだ。
「それじゃあ、そろそろ行きますね。また来ます。今度は皆と一緒に」
最後の方の言葉を青い空間に向けて言うと、ナディアは泉に向かいぺこりと頭を下げ、背を向けた。
ナディアの姿が白い木々の森の奥に消えた時あと、再び風が静寂の地と泉を撫でた。
風に撫でられ、泉が小波を立てる。
ひらり。
泉に沈まなかったピンクの破片が小さく揺れた。
「それじゃあ、お願いします」
にこりと微笑んで、ナディアはクラウドにそれを差し出す。
ナディアから連絡が入り、クラウドが訪れたのは、眠りの森の入り口。
彼女はそこでクラウドを待っていた。
手に持っていたモノを渡すために。
「バイクじゃ殆ど風に飛ばされるかもしれないぞ」
かさりと、かすかに音を立てたそれに、クラウドは難しそうな顔をナディアに向けた。
「安全運転でお願いします」
クラウドの言いたい事が解っているだろうに、ナディアの表情と意思は変わらない。
変な所で融通の利かない歌姫に、クラウドは諦めたように溜め息をひとつ吐くと、目の前に差し出されたモノを受け取る。
淡い、ピンクの花のついた枝々。
花に詳しくないクラウドでも、初めて見る花だ。
「この花は?」
「桜と言う花です。ウータイに咲いていたのを無理を言って貰って来たんです」
とっても綺麗だから、ティファやマリンたちにも見せたくて。
クラウドを見ていたナディアが桜を見て薄く微笑む。
ナディアのその笑顔を見て、クラウドは彼女の背中の後ろにある森を見つめる。
暗く深い森の奥に、青い世界が広がっているのを、彼は知っていた。
「会いに行ったのか?」
視線を森の奥に止めたまま、クラウドが小さく呟く。
問われた当人は暫く口を閉じたままだったが、
「はい」
開かれた唇から出た答えは、確りとした音になってクラウドの耳に届いた。
「喜んでくれたと思いますよ」
「そうか…」
互いに顔を合わせることは無かったが、なぜか自分たちがどんな表情をしているか解った。
ゆるやかな、穏やかな顔をしているんだろう、と。
「歌姫の依頼だからな、安全運転で運ばせてもらう」
ナディアがクラウドの方を見れば、彼もいつの間にかナディアの方を見ていて、口の端を上げていた。
「だが、一つ聞いてもいいか?」
「どうぞ」
クラウドの聞きたいことが何か解るはずも無いのに、ナディアは今も微笑みを消さない。
「どうして、エアリスのは俺に頼まずに自分で行ったんだ?」
「そんなの、簡単ですよ」
ナディアはクラウドと桜を見て、後ろを振り返り森を、否、その先にある場所を見つめた。
「クラウドに頼もうと思ってたのに、どうしても自分で届けに行きたくなったからです。私が初めて見た、エアリスにそっくりな花を」
誰よりも、一番に。
照れ臭そうにはにかんだナディアの顔を見て、
「そうか」
彼女の気持ちが何とはなしに理解出来たクラウドは一言答えて頷くだけにした。
脳裏に、桜の花を持った懐かしい人の姿を描いて。
Fin
あとがき
桜の花を持ったナディアが忘らるる都の泉のほとりに立った姿が思い浮かびまして。
エアリスが沈んでいった泉に初めて見た桜を渡しに行った話を思いつきました。
静かな雰囲気を出したかったんですが、成功してるか解らない。
桜の枝はエアリスの一本だけではなく、実は全員分あります(笑)
一本はナディア自身が、後はナディア自身でも良かったんですが…管理人の趣味でストライフデリバリーに頼む事にしました。
かなりの枝を盗んだ花盗人にユフィも抵抗しましたが、最後には押し切られたようです。
2008.4.30