ぷち ぷろ
吐く息の向こうには、厚く覆われた雲。
絹鼠色の雲はふわりと雪を産み落としていた。
維はそっと手を差し出し降りてきた雪を掌で受け止めた。
胡桃色の手袋に覆われた手が体温を閉じ込めているので、雪は融けず白い姿を守ったまま維の目に映る。
真白い雪を掌で見つめてから、維はもう一度空を見上げた。
雲から降りてくる雪は、薄墨色をしている。
手に触れた雪が白いのなら、雲から降りてくる雪も白いはずなのに、どうして雲を背にする雪は色が違うのだろう。
雪が顔にかからない様に傘で調節しながらも、空を見上げ維は取り留めのない事をつらつらと考えている。
「光の加減なのかなぁ? 不思議」
「何が不思議なんだ?」
維の独り言に答える声を聞き、彼女は空から顔を離す。
声の主へと体を向ければ、紺色の傘を持った一護が立っていた。
「なんでもないよ、ただの独り言」
一護の姿を見て、維は首を横に振ると一護に近付いていく。
「帰ろ」
空色の傘を緩くまわしながら、維が言うと。
一護は辺りを見渡し首を傾げた。
「皆はどうしたんだよ?」
いつもなら、煩く騒いでいるだろう啓吾やそれを鬱陶しそうに楽しそうに放置する水色。
それを見守る茶渡や傍観する石田の姿がない事に怪訝な表情を一護が浮かべれば、維は困ったように笑った。
「なんか、気を使わせちゃったみたい」
「……あー」
維の言葉の意味が解ったのか、一護は空いている手で頭を掻いた。
「お前の方も?」
普段、維と一緒に帰るはずの織姫や竜貴たちが居ない事を悟り、髪を触っていた手を止めて聞くと。
素直に維が首を縦に動かした。
そして、もう一度困ったように笑う。
「帰ろっか?」
くるりと、空色の傘が回る。
「そうだな」
一護も維と同じ表情を浮かべる。
紺色と空色の傘が隣に並んで歩き始めていた。
「もうそろそろで卒業かぁ」
傘をくるくる回しながら感慨深そうに維が呟く。
季節は二月。
各々の生徒が自分の道を見つけ、巣立つ時間が近付いてきている。
三年で受験を終えた一護と維も例外ではない。
次の月には、別れが待っている。
「イッチーは地元の医大だっけ」
サクサクと積もりつつある雪を踏みながら、維が一護の顔を見ると彼は頷いていた。
「ああ。とりあえず、今のところは親父の後を継ぐって考えてるしな」
地元の医大と言えばかなりのレベルではあるが、一護は見事入ってみせた。
その時の黒崎家の喜びようといったら凄かった。
いつもなら世の中を斜め見ている双子の妹でさえ、ハイテンションな親子と共に騒いでいたのだ。
一護はその時の事を思い出しそうになるのを必死に振り払いながら、
「お前はどうなんだよ。文系の大学なんだろ?」
聞けば、維はしっかりと頷いた。
「地元だけどね。色々見ていろんな表現を見つけたいとか思ってるから。で、その間に書いてみようって」
維は最近、文章を書くようになった。
本好きが乗じて、とうとう自分でも書きたくなったのだという。
「書き始めたのか?」
「まだ構想段階で簡単なプロットの破片みたいな感じだけどね」
にんまりと笑う維の顔に、一護はそうかと薄く笑みを返す。
どういう話なのかはまだ秘密らしいが、そのうちに話してくれる事だろう。
二人の会話はそこで止まり、雪を踏む音だけが響いてきた。
空から降る雪の無音の音と、地に積もる雪を踏む微かな音が暫く続いた時。
「よくよく考えるとさ」
維が再び音を出した。
「私たち二人とも…ってかほとんど皆が地元にこのままいる事になるけど、今みたいに毎日は会えなくなるんだよね」
毎日校門で会い、下駄箱で挨拶をして。
教室で騒ぎ、屋上で昼食を食べ、中庭で昼寝をし。
放課後の部活や町へ飛び出す事を考える。
自分たちが今まで当たり前だった事が、もう少しで当たり前ではなくなっていくのだ。
「寂しい?」
一護が静かに問えば、
「うーん。ここ最近くらいからずっと思ってたコトだから、覚悟してたって言うのかな?
寂しいけど、あんまり寂しくは無い感じ」
維は実にあっさりと答えた。
「生きてれば、会えるしね。死神みたいにそうそう会えないなんて事、ないし」
口の端を上げて一護を目だけで見つめると、一護も笑った。
「確かにな」
一護も維も同じ事を考えていた。
今はもうほとんど会う事がなくなった、黒装束の死神たちの事を。
とはいえ、一護は死神としての仕事を時々手伝ってはいるのだけど。
「でも」
ふい、と維は一護から顔を背けて笑った。
少し、寂しそうに。
「会えなくなって、凄く寂しいって言う人もいるし…」
たとえば、目つきの悪いオレンジとか。
一護が驚いた表情を浮かべるのを、維は見ていない。
「なかなか難しいよ、うん」
くるり、空色がまわる。
まわる間に微かな鈴の音が聞えてきたのは、おそらく気のせいではないだろう。
「維」
一護は立ち止まり、維の名前を呼んだ。
「ん?」
呼ばれ、一護と同じように立ち止まった維は眼を丸めた。
傘を差しているのにも拘らず、素早い動作で一護は維の手首に何か光る物をかけた。
日の光が無い雲の下でも、微かに光る珊瑚色と透明なビーズが細かに美しく形作るブレスレット。
「誕生日、おめでとう」
眼を丸めながらも瞬きをし、手首に飾られた物を見つめる維に一護が贈った言葉。
維は瞬きを幾度か繰り返してから、一護を見つめた。
ほんのりと、一護の頬が赤いのは寒いからだろうか。
一護も維を見つめ、彼女の言葉を待つ。
「……色気が無い」
維の第一声は、なんとも言えないものだった。
一護の肩が思い切り下がる。
「お前なぁ」
「だって」
一護の落胆がかなり深いものだと目と耳で感じながらも、維は言葉を続ける。
「こういう時って、普通指輪とかじゃないの?」
友情から恋と愛へ。
なだらかに変化してきた二人の心にじれったくなりヤキモキした友人たちの努力と協力――面白半分の出歯亀と
ちょっかいとも言う――があり。
一護と維もそれなりに世の恋仲に相応しい姿になってきている。
だから、維のこの発言も彼女自身の成長とも言えるのだが。
一護も一護で思っている事があるようだ。
「今のオレにはまだ無理。もう少し先の楽しみって事で、それで手を打ってくれないか?」
もう一度、維の目が丸くなり。
手首で光るブレスレットを見つめる。
だんだんと、一護の言葉が脳に沁み込んでくる。
「……そんな事言って、あとでヤッパなかった事にしたいって言ったら、酷いんだから」
傘を何とかして脇と腕で支えつつ、ブレスレットを空いた手で柔らかく大切に包みこめば。
ぷいっと一護から顔を横に逸らす。
あからさまに照れている維という、とても珍しいものを久しぶりに見ることが出来た一護はにやけそうになる顔を
何とか止めながら、
「そうならないように頑張るよ」
穏やかな口調で言い切ってみせた。
維は暫くうち後から視線を逸らしていたが、そのうちにポツリと呟く。
「もう一回」
「へ?」
気の抜けた返事を返す一護に、目だけ動かして維は口を開く。
「ブレスレット、ありがと。ずっごく嬉しい。大切にする。だから、嬉しいついでにもう一回」
それだけ言って維は一護から眼を離す。
完全に照れてしまったのだろう、頬が寒さだけではない赤みに染まっている維を見て。
一護が心から溢れてくる何かにつられるように笑うと、維の髪を撫でた。
「誕生日おめでとう、維」
「指輪、期待して待ってる。ってか私が贈ってやるんだから」
その言葉が聞えてきたのは、二人が帰路のために分かれる道に差し掛かったときだった。
彼女は楽しそうに、嬉しそうに笑っていた。
HAPPY BIRTHDAY for Yui!
あとがき
維、誕生日おめでとう!
今年は維だけだけど結もおめでとう! 来年は祝ってみせる(笑)
時間的にはちょっと未来の高校三年生。
進路も大方決まり後は卒業諸々みたいな時期ですね。
この話の二人は珍しくハッキリと恋仲です。
ハッキリと恋仲確定で書いたのは初めてなので…微妙に私も戸惑ってます(笑)
まだこの二人には親友以上恋人未満で居て欲しいようだ(苦笑)
ぷち ぷろ=petit promise(小さな約束)
指輪を贈れるほど、まだ大人ではないけれど。
でも、一緒にいたいから.
指輪の代わりにブレスレットを。
小さな約束の証。
2008.2.3