護りたいものはただ一つ
織姫が屋上で目にしたモノは、とても現実離れしたモノだった。
柔らなとは言えない、かと言って厳しいわけでもない空気を纏った風の中、彼女はただひたすら黄昏間際の空を仰いでいた。
風に導かれて彼女の髪を飾っている三つの鈴がリチリチと鳴る、その空間はとても異質なモノで。
まるで、この世とは違う場所が交じり合っているかのようだった。
実際、屋上の空気はいつもの平和なモノではなく何処か重々しいモノである事を織姫は肌で感じ取っていた。
息苦しい空気と風の中心にいるだろう彼女を見詰めている事数分。
チッ。
彼女の頬に二筋の傷が浮き上がった。
傷は赤い血を流し、頬を伝っていく。
「維ちゃん!!」
織姫は思わず声をかけていた。
維と織姫は屋上の床に座り込んでいた。
維の頬の傷を見て、織姫は大慌てで彼女に近付きその場に座らせると自分も維の前に座り、盾舜六花を発動させた。
陽だまりの色が傷付いた維の頬を包みこんでる。
パックリとカマイタチにでもあったような見事な傷口は、だんだんとその姿を消していった。
「ありがと、ひぃちゃん」
頬の傷が癒えると同時に感じる暖かさに維は気持ちよさそうに顔を緩ませて、織姫に声をかけた。
「どういたしまして。でも、ごめんね? なんか邪魔しちゃったみたいで」
維の感謝の言葉に織姫は首を横に振りながら、申し訳なさそうに返事を返す。
織姫が維の傷を見て声をかけた瞬間、今までそこにあった空気は消え失せ、風もやんでいた。
そして、心底驚いたような目で織姫を見詰める維を見て、織姫は自分が何かを邪魔してしまった事を悟った。
それはきっと、維にとっては何よりも大切なことだと言う事を、きちんと理解した上で。
少し、しょんぼりとした表情を浮かべている織姫に、維はにこりと微笑んだ。
「気にしないで。ひぃちゃんが声かけてもかけなくても、どっち転んでも失敗だったんだ。要は私の力量不足。
ひぃちゃんが気にする事、何もないよ?」
「でも…」
「むしろ、感謝してます。だって、この傷も本当なら自分で何とかしなくちゃいけないものなのに、こうして盾舜使ってくれてるんだもん。
本当に、ありがと」
謝罪の言葉は絶対に聞かないとばかりに笑顔を浮かべて礼を言う維に、織姫は一瞬とっても申し訳なさそうに顔を歪めてから、ホッとしたように
笑顔を返した。
「うん、私の方も…ありがとう」
織姫がそう言ったのと同時に維の頬の傷も元通りに癒え、盾舜六花は力の流出を終えて織姫の髪飾りに戻っていく。
「舜ちゃんもあやめちゃんも、ありがとね」
もとある場所へと戻っていく織姫の半身二人の姿を視界に止めて、維がひらりと手を振ると。
舜桜とあやめも維に視線を向けてにこっと笑い手を振ってくれた。
二人の姿を見送った後、維は大きく伸びをした。
「あー、今日もダメだったかぁ…」
「維ちゃん」
「はぁい?」
伸びをしながら残念そうに呟く維の耳に、織姫の声が届く。
返事をしながら維は織姫の方を向くと、彼女はジッと維の目を見詰めていた。
彼女の眼差しはとても真摯で強い。
「いつも、維ちゃんはああいう事してるの?」
織姫は維の力を見た事があっても、その力の全てを知っているわけではない。
知っている事は、維の傍にはいつも力ある存在が降り立つという事だけ。
どうやって、その力を得ているのか。
織姫は初めてその一端を垣間見たのだ。
維の頬に赤い血が伝わっていく光景を思い出しながら、織姫が問うてきたのを見て維は頬を掻いた。
「んー。その時々によって違うんだけど、まあ大体似た感じかな?」
「…怪我、とかも?」
織姫が何を言いたいのかを悟ったのか、維は気まずそうに織姫から横に視線を外した。
「あー…。うん、結構ね。なんせ一対一のガチンコ勝負だから。私が必死な分、アッチも必死。だから、怪我しちゃうのは仕方がないんだ」
「じゃあ、維ちゃんいつも…」
織姫の沈んだ声に維は慌てて次の言葉を紡ぎ出していく。
「でも大丈夫! 今日はひぃちゃんに怪我治して貰ったけど、一昨日やっと治癒能力持ったの跪かせたから!
今度は怪我しても大丈夫になったんだよ!!」
「…そう、なんだ…」
まだ少し、疑わしげな織姫の目を遮るように、維は思い切り首をブンブンと縦に振る。
「うん、だから心配しないで? 引き際は解ってるから、大怪我する事絶対ないんだから。
大怪我して動けなくなったら元も子もないもん」
誰かが傷付く事を極端に嫌がる織姫を安心させるように、維はにぱっと笑うが、織姫は表情を暗くしたまま。
「…ひぃちゃん?」
「維ちゃんは、強いね」
予想もしていなかった織姫の言葉に、維は目を見開く。
「え…?」
維の動揺を感じたのだろう。
今度は織姫が維から視線を離す様に俯いて、淡々と言葉を発していく。
「だって、たくさん怪我してて…とっても痛いはずなのに、それなのにいつもそうやって頑張ってるんだもん。凄いよ」
「凄くなんかない」
維が言葉を斬った。
その声の鋭さに思わず織姫が顔を上げると、維と視線が合わさった。
二人は互いに視線を合わせていたが、そのウチに維は苦笑いに近いどこか自嘲的な笑みを浮かべた。
「私は凄くなんかない。だって、力が欲しいんだけだもん。
そのためだったら、どんなに痛い思いしても、全然平気…ってワケじゃないけど…でも、耐えてみせる」
「維ちゃん…」
織姫は複雑な表情を浮かべる維の、床に着いている手の上に自分の手を乗せた。
「それは…。維ちゃんが力を欲しがるのは…黒崎君のため?」
織姫の手の下にある、維の手が震えた。
しかし、維は決して織姫から手を離そうとする事はなく、今まで見せていた表情を消し、織姫を見詰めている。
表情豊かな維の、初めての無表情を目にし、織姫は自分の考えが当たっていたのを知った。
維の、力を欲するその根底に黒崎 一護がいる事を。
「……黒崎君の事、好きなの?」
痛みすら耐えて、一護のために力を欲する理由を織姫はひとつしか知らない。
その人を特別に思うが故に、人は守るための力を欲するのだ。
維の手の震えが移ったのか、織姫は手と声を震わせて聞けば、維の表情が動いた。
「解んない…でも」
彼女の表情は、
「きっと、好きとか、嫌いとか…そんなんじゃないんだと思う」
今にも泣きそうに歪んでいた。
「私、皆大好きだよ。誰かが傷付いても、私はきっとその傷付けた相手を許さない。
私の大切な人を傷付けたヤツなんて、絶対に許したりしない。だから、私は皆を守りたい、傷付けたくない」
でも…。
維は織姫が触れている自分自身の手を、キツく握り締めた。
「イッチーは違うの。皆大好きで、守りたいけど…でも一番護りたいのはイッチーだけ。
他の皆はイッチーがその魂を賭けて護るって言うから…。
私はその皆を護るイッチーを護るの。
でも、私は貪欲でワガママだから、イッチーの体に傷が付かないようにするだけじゃ嫌なんだ。
私は、イッチーの心も護りたい。
イッチーの、心も体も護りたい。
だから、私は強くなるの。
イッチーの体が傷付かないように、彼自身を護れるように。
イッチーの心が傷付かないように、彼自身の手が届かないだろう、大切な人たちを護れるように」
その誓いは、ずっと維の中にある。
彼の誰かを護りたい理由を背中越しに知った、あの夏の日から、ずっと。
「恋とか、愛とか、そんなんじゃなくて…もっと本能的なんだと思う」
維の瞳はとても激しく揺れていると言うのに、その眼光はとても鋭い。
まるで射抜かれそうだと、織姫は思った。
「私が、護りたいものはただ一つ。黒崎 一護と言う存在だけ」
維の、そのあまりに意思の強さに。
織姫は思わず、ギュッと維の手を握っていた。
「そのためには、イッチーよりも強くならないといけないワケで。こうして、日々頑張ってるワケなんです」
織姫が手を握った瞬間。
ふにゃり。
そう維は困ったように笑い、今まで彼女の周りに纏わりついていた空気は一瞬にして消えて行った。
あまりの劇的な変化に織姫はどうしていいのか解らず、目を何回も瞬かせる。
とても混乱している様子の織姫を見て。
(ちょっと、ギャップがありすぎたかな? ごめんね…。でも…)
維は心の中でも同じように困った笑顔を浮かべた。
(私、シリアスなのあんまり好きじゃないんだもん。ガラじゃないし)
至極、維らしい考えで、場の空気をガラリと換えてしまった事に心から謝りつつ、維は自分の口元に人差し指を近づけた。
「でも、これイッチーに解ったらものごっつ煩いと思うので、ナイショにしてくれると嬉しいです」
にっこりと笑いながらそう願う維を見て、織姫はだんだん状況が飲み込めてきたのか、維と同じようににっこりと笑った。
「うん。ナイショね」
「お願いします」
「うん! …でも維ちゃん」
「なに?」
維のお願いにしっかり頷いた織姫は、笑みを浮かべながらも真剣な目を維に向けた。
「私たちは大切な仲間で友達だから、一人でいろいろ背負っちゃダメだよ?
あたしだって黒崎君や維ちゃんや、大切な人の力になりたいんだから」
織姫の真剣な中にある優しさの『音』が聞こえて来るのを感じながら、維は真っ直ぐに織姫を見て、頷いた。
「解ってる。これからもヨロシクね。ひぃちゃん」
「ヨロシクね、維ちゃん」
維と織姫はお互いに顔を見合わせ、クスクスと笑っていた。
二人の手はいつの間にか、優しく握り合っていた。
Fin
あとがき
拍手ありがとうございました!
黒崎一護的5のお題、4《護りたいものはただ一つ》でした。
維と織姫の話でしたが、根底に一護がいるので、たぶんオッケーだと思います。
それにしても長い!!
面白いくらいに長い!!
なんか端折ろうと思えば端折れるんだろうけれど、でも入れたいの全部入れてみたんで満足です(オイ)
2007.5.20
〜おまけ〜
「そいえばひぃちゃん」
「なに?」
「なんでこんな放課後の屋上に来てるの?」
「あ! うん、実はちょっと忘れ物を…」
「…屋上に?」
「教室になかったんだもん」
「でもさ、今日私たち屋上来てないよ? どうやって忘れ物??」
「………あっ!」
「…………ひぃちゃんらしいね!」
「もう! 維ちゃんってば! そんなに爆笑するなんてヒドイよ!!」