維はその光景を忘れる事は出来ないと思った。
普通に教室の扉を開けて自分を見た、大切な人たちの表情を。
最初に反応したのは当然と言うのか、必然と言うのか。
「ゆ、ゆ、ゆ、ゆ…維ちゃぁぁああん!?」
啓吾だった。
彼は猛ダッシュで教室の扉を閉めて入ってきた維へと駆け寄ってきた。
啓吾の動揺を目で仲間たちの動揺を耳で感じながら、維は啓吾へと向き合った。
「おはよ、啓ちゃん」
「うんおはよ…ってそうじゃないよ! 一体どうしたんだよ維ちゃん! その髪!!」
啓吾が半ば叫びながら維に指を向ける。
(人に指差しちゃいけないんじゃないかなぁ)
と、思いつつも啓吾の言いたい事を維は十二分に理解していた。
だからこそ、にこりと笑顔を浮かべる。
「似合う?」
笑みを浮かべて小首を傾げる維の髪は動きに合わせて、軽やかに揺れた。
少し前ならさらりと靡いて動いた髪の感覚を、感じる事はなかった。
維の長い濡れ羽色の髪は、短く切られていた。
三つの鏡で出来た鈴を付けたリボンを飾る事が出来なくなるほどに。
切り揃えられた髪の毛先が軽快に動くのを見て、啓吾は口篭った。
「に、似合うって…うんまあ…似合うよ」
屈託なく笑う維の言葉に啓吾は素直に答えた。
確かに似合う。
長い黒髪が印象深かったので違和感を感じざるを得ないが、短いのもなかなか似合う。
「良かった!」
啓吾の言葉に維は嬉しそうに声を弾ませる。
違和感は依然抜けないが、維が嬉しそうにしているのだからまあいいかと、啓吾はそう思い直した。
しかし、疑問に思う事もあった。
「でも維ちゃん。どうしてまたいきなりバッサリと…ハッ! まさか!」
「ないわぁ」
ハッと何かを思いついた感じの啓吾の考えている事が解ったのか、維は否定した。
「へ?」
固まる啓吾に維は物凄いイイ笑顔で口を開く。
「いまどき、失恋したから髪切るってないわぁ。っつか、その発想が古いよ啓ちゃん、ないわぁ。ホントにないわぁ」
ないわぁを連呼されて、啓吾の体がぷるぷると震え始めた。
こうなると後のパターンは大体決まっている。
「うおおお! 維ちゃん酷いよ〜! 水色〜! 維ちゃんが酷ぃぃぃいいい!」
涙目になりながら水色の元へと走り戻っていく啓吾。
それを呆れた笑顔で迎える水色。
「はいはい。よしよし。でも啓吾、ボクもその発想は古いと思うよ」
彼は容赦なかった。
「水色ォォォオオオオオ!!!」
「煩いですよ浅野さん」
「敬語と苗字で呼ぶのやめてっ!」
いつも通り、日常の空気に戻っていく中で、維は小さく笑った。
(…ちょっと苛めすぎたかな、ゴメン啓ちゃん)
あとで、何か驕ろう。
決めて維が頷くのを一護はずっと見ていた。
頷いた髪はただ小さく、揺れるだけだった。
「で? ホントの理由は何だ?」
「ん?」
学校が終わり帰宅の途に着いていた維の耳に一護の声が入ってきた。
隣に顔を向けて少し見上げると、ブラウンの瞳とかち合う。
一護の目は真っ直ぐに維を見つめているのを見て、維はそっと目を離した。
やましい理由ではなく、彼の目を見たままでは歩く事が出来なかったからだが。
「理由って言ってもなぁ…」
維はどう言おうか言葉を探していた。
そして、無意識に一護の『音』を聞こうとしていたのを自覚して、維は目を細めた。
「うーん、なんて言うかなぁ…」
聞こうとした『音』と感傷を振り払うように維は空を仰ぐ。
「いろいろ一区切りついたから、その記念って言うか、仕切りなおしって言うか…気持ちの切り返って感じかなぁ」
全てが終わったのだ。
藍染の事も、そのあとのゴタゴタも。
一護の霊圧の事も。
全てが終わり、日常が帰ってくる。
今までと同じで、しかし今までとは違う日常が。
その区切りを、付けたかったのかもしれない。
そう考えると、啓吾が『失恋』と言いたくなったのも間違いではないのかもしれない。
だが、維にとってこれは終わりと始まりのけじめなのだ。
終わる事を思い出にして、始まる事へと進み始める。
その事への。
「そうか」
維の気持ちがどことなく解り、伝わって来た気がして一護は静かに返した。
一護は霊圧を完全に失い、ルキアとの別れの瞬間に全てが終わり、始まった。
維にとって髪を切ることがその境目だったのだろう。
自分にとって、あの日見た空が終わりと始まりの境目だったように。
一護は数歩前に出た維の後ろ姿を見る。
短くなった髪。
少し前までゆらりと揺れてた長い髪は、ない。
初めて出会ったときから見続けていた、濡れ羽色の髪を飾るリボンと鈴。
これらがない事がこんなにも違和感と寂寞とした感情を生み出すのかと。
そして、あの鏡の色と濡れ羽色のコントラストが見れなくなくなった事が惜しい事だったのだと。
一護は感じた。
「伸ばさないのか?」
ふ、と。
口から出た言葉に、一護は自分で驚いた。
一護の言葉に驚いた維もまた振り返えるが、自分の発言に驚いている一護を見て目を丸めた。
無意識で出た言葉だと一護の表情が教えてくれる。
一護の自分で自分に驚いた表情がおかしくて、維は口の端を上げた。
「似合わない?」
小首を傾げて問いかけてみる。
さらりと揺れる維の髪先。
一護は思わず維から目を反らして、
「あ、いや…」
どもってしまう。
どう言うべきかと口の中でもごもごと言葉を幾度か噛んで、一護は維を見つめ直した。
「似合ってる、似合ってるんだけど…どうしても違和感があるんだよ」
「そのうち慣れるよ、大抵そうでしょ?」
「そうだけどよ…」
確かに髪型の変化など少しすれば慣れてしまうが…。
惜しいと思った事など恥ずかしくて一護の口から絶対に言えるはずもなく、彼はどう言おうか考えていると。
「大丈夫だよ」
維が穏やかで、安心させるような優しい声色でそう言うと、微笑んだ。
「これからは、また伸ばしてくつもり」
「…本当か?」
「うん」
一護のどこかホッとしたような表情を見て維は可愛いと思いつつ、
「こんなに短く髪切ったの実は初めてでさ。私も実は違和感凄いあるんだよね」
しかしそれを口にせずに困ったように笑って見せた。
長年付き添ってきた髪を短く切って最初に感じたのは、軽い、だった。
あまりにも軽くて、自分の頭ではないような錯覚さえ起こすほどに維は自分の髪の変化に違和感を覚えていたのだ。
「鏡鈴を付ける場所も困ったし、また伸ばしてくよ」
鞄でもいいのだが、鏡鈴は維の武器であり半身である。
出来るだけ身に付けておきたい。
そう考えると、やはり髪しかないのだ。
「手だと邪魔になっちゃうんだよね」
維の手首にはリボンに着いている鈴が飾られていた。
確かに少し不便そうだ。
一護はそう思いながらも維の言葉を聞いて意識しないうちに嬉しそうな表情を浮かべていた。
「そうか」
「ホッとした?」
嬉しそうな一護の表情を見て、維はニヤニヤと一護の顔を覗きこむ。
「ほっとけ」
ニヤニヤと笑う維を見て自分がどんな表情をしていたのか気付いた一護は照れ隠しに維の顔を苦しくない様に手で掴んで軽く後ろに押しやる。
「イッチー! 前見えない!」
急に顔面を手で覆われ何も見えなくなった維は慌てて声を荒げる。
しかし、その表情はどこか楽しそうにも見えた。
一年もすれば、おそらく前の長さに戻るだろう。
きっとその頃には、頭が重くなったと言うかもしれない。
その日が楽しみだと、維も一護も思っていた。
Fin
あとがき
アニ鰤もとうとう一部完になってしまったので、その記念と言うかなんと言うか。
去年の今頃はSound Of Omen書いてたんだよなぁとか思うと感慨深いんだかそうじゃないんだか(笑)
でも、空白の17ヶ月の間にこう言う事があっても良いんじゃないかと思って書いてみました。
時間軸は一護の霊圧が完全に消失して暫くしてから。
これから17ヶ月かけて髪を伸ばすのだから結局関わりない事になりそうですな(爆)
新章に入って皆髪形が変わってたので維も変えようかと思ったんですがね(笑)
そして髪を切った維と啓吾の話を先に思いついたと言う(笑)
失恋かと言う敬語に先手を打ってないわぁと言う維のイメージから始まりました、ええ。
2011/10/04